ブラジルの農業調査 種子遺伝子調査 の切手です。 熱帯栗調査 の切手です。 実際のカスターニャ(栗)は非常に硬い殻の中に30粒程の硬い皮に包まれたナッツが入っています。 カスターニャ・ナッツやブラジリアン・ナッツとも呼ばれるアマゾン熱帯雨林の中に自生する栗で、現地では人気の高いナッツです。 熱帯大豆調査 の切手です。 アマゾンの荒廃地を再開墾して整地した植林地の植林木の間に植え付けたフェィジョン(大豆)です。(アグロフォレストリーの一例です。) 1500年代にポルトガルの植民地になってから、1930年代後半まで、ブラジル経済は第1次産業の輸出に依存し、ポルトガルは、ブラジルを原料供給地と位置づけていました。 また、1950年からの55年間に、ブラジルの人口は毎年2%の割合で増加したので、食料需要の増大に伴う農業生産の強化策を推進する必要があったので、その当時は農地の拡大の理由により、アマゾンなどの森林地帯を農地へ転換するための環境破壊が容認されていたのも事実です。 未開拓地の農地転換や農牧研究公社による種子の開発などによって、ブラジル農業は発展してきました。1990年代に入ると、ブラジル経済の自由化による穀物メジャーがブラジル参入などの新たな動きも見られた。これらの動きはブラジル農業を活性化に導き、2005年の世界の農産物輸出において、ブラジル農業は、世界の上位5位に入る程の成長を見せています。 #
by wagahai_tt
| 2012-03-28 11:35
| 切手
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Asflora活動報告を紹介します。 第22回Miyawakiプロジェクト植樹祭 2012年3月3日 Asflora(アマゾン森林友の協会)と三菱商事株式会社、エスペジット・リベイロ入植者協会(ATRAER)は、2012 年3月3日(土)、サンタ・バルバラ市(郡)のエスペジット・リベイロ入植地で、「第22回東アマゾン熱帯林再生実験(通称 Miyawaki プロジェクト)」植樹祭を行いました。 植樹地は、ベレン市から東南へ50km、モスケイロ島への街道から右折し、ジェニパウーバ街道から入ります。車でベレンから1時間で到着しました。今回の植樹地は、同地で年末に行ったクリスマス植樹祭植樹地(9千本植樹済)と、小川を隔てた対岸に位置します。 ここは、6年前から開拓の始まった入植地の水源地です。 自然林が保全されてはいますが、開拓と共に狭まっています。昨年は、幹線道路が水源地を横切り、土砂が小川に流入、水が濁って水量も減ってきてしまいました。Asfloraでは、イオン環境財団、EFF(NPO地球と未来の環境基金)・緑の募金の助成を受けて、4年前から、この水源涵養林を保全し拡張するように努めてきました。 今回は、三菱商事株式会社とAsfloraの共同事業「第22回東アマゾン熱帯林再生実験」(Miyawakiプロジェクト)を同地の水源林づくりのために行いました。 5,000本(40余樹種)を2,000m2に植え付けの始まりです。 植樹祭は来賓挨拶の後、クルピーラによる植樹指導で始まりました。 植樹地には、全面的に堆肥が施され、朝早くから入植地の人たちと、前日から当地で体験研修を始めた東京農大国際農業開発学科の学生4名が植え穴掘り作業に汗を流しています。上右の写真は、その学生4名(男女各2名)と、植樹祭に加わった東京農工大の学生(右端)1名です。 写真左、左から沼田総領事、坂上氏(文協)、山本氏(商工会議所)、近藤社長(伯三) 写真右、植樹中の沼田総領事(右)、昨年末もこの水源の森つくり植樹祭に参加して下さいました。 植樹を始めて1時間後、植樹した箇所を全員で囲んで、恒例のViva Natureza!(自然万歳!) 植樹後、入植地公民館で参加者に地元婦人会によって全員にランチが配られました。 また、沢山のランブータン、マンゴスチン、それに珍しいランサ、ドリアンを瀬古農園の差し入れがあって、熱帯果樹を思う存分に味わえました。 ブラジル三菱商事の近藤社長とCSR担当の長谷川さんから、市の教育課長を通して植樹祭に来てくれていた各学校代表者に6冊のポルトガル語版日本百科事典の寄贈がありました。貧しい開拓部落で、とてもリッチな日伯交流素親睦会が出来ました。(右上写真) 植樹祭の準備に携わった関係者、参加者の皆様、どうもありがとうございました。 ここの水源の森づくりは、2008年12月から始め、7箇所目になりました。 本年から、農工大によるJICA草の根プロジェクト「アグロフォーレストリー普及」での協力も得られるようになりました。 部落の人たちと共に、本物の森、全ての命を守る森を育みつつ、持続可能な農業が根付くように努めてゆきたいと思います。 ASFLORA‐Instituto Amigos da Floresta Amazônica Presidente:Takushi Sato Vice-Presidente: Shoji Yamanaka Coordenadora: Marluce Amorim #
by wagahai_tt
| 2012-03-21 06:03
| Asflora
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タンクレッド・ネーヴェス大統領 1985年に発行されたタンクレッド・ネーヴェス大統領の切手です。 タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェス(Tancredo de Almeida Neves、1910年3月4日 - 1985年4月21日)は、ブラジルの政治家で第30代ブラジル連邦共和国大統領です。 ブラジルのミナス・ジェライス州出身で、1985年1月、国会議員を中心とする間接選挙で連立野党の候補者として出馬し74歳で大統領に選ばれた。 民主化後の21年ぶりに軍政から民政になった文民大統領 であるため国民から期待されたが、1985年3月14日の大統領就任式前夜、数ヶ月わずらっていた消化器官の病気のため教会のミサ中に倒れ急遽ブラジリアの病院に担ぎ込まれた。 社会現象になるほど国民が心配し見守る中で7回の手術を受けたが、5週間後にサンパウロで死去した。 政権発足時、副大統領であったジョゼ・サルネイが大統領に就任して、5年間(1985年~1990年)政権を担当した。 ジョゼ・サルネイは、ブラジルの政治家、詩人、ブラジル文学協会会員であったが、不人気な大統領として知られている。 マラニョン州出身。軍事政権時代にはブラジル民主運動党に属していたが、1985年の大統領選挙のときには民主社会党から副大統領に立候補している。 タンクレード・ネーヴェスが大統領就任式前夜、数ヶ月わずらっていた病気のため急きょ病院に担ぎ込まれたため副大統領のサルネイが大統領代行となり、5週間後ネーヴェスが死去した後、そのまま大統領に就任した。就任に当たっては、新憲法を立案する議会召集のための総選挙を行い18ヶ月の審議の後、新憲法が発布された。 政策では累積債務対策と経済再建策で失敗し1987年2月に中長期債務の利払い中止(モラトリアム) の宣言を行ったことで、国際的信用を失った。 1989年1月に再びインフレーション抑制策を発表したが失敗する。 #
by wagahai_tt
| 2012-03-14 04:39
| 切手
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ジェツリオ・ヴァルガス大統領 1984年に発行されたジェツリオ・ヴァルガス大統領生誕100年の切手です。 ヴァルガス時代には大学の整備、国家主導の工業化、ナショナリズムの称揚と移民の同化政策、中央集権体制の確立が進んだ。 ジェツリオ・ヴァルガスは1930年から1945年までの15年間と、1951年から1954年までの3年間の合計18年間、ブラジルの大統領を務めました。 彼は1882年にブラジルの最南端のリオ・グランデ・ド・スル州サン・ボルジャ (São Borja)という小さな町に生まれた弁護士で、当初はPRR(共和党)の党員で、その後は、PTB(労働党)に所属し、州議会議員、連邦議会議員を経て、1926年から1927年には大蔵大臣を務めています。 1930年の大統領選挙で敗れたのですが、当時の政治腐敗などの不満を背景に軍事クーデタを成功させて政権を掌握し、1934年には議会から認められて正式に大統領になり、1937年の大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行ったようです。 当時のジェツリオ・ヴァルガス大統領(左)とフランクリン・ルーズベルト米大統領です。 政権末期は国民解放党(共産党)に接近した。 1954年にはこれに反発を抱いたアメリカ合衆国から独裁政治を糾弾される。 また、反大統領の姿勢をとるジャーナリスト暗殺計画などへの関与も疑われ、ヴァルガスへの退陣要求が強まった。 こうした中で1954年8月25日にヴァルガスはピストル自殺を遂げた。 #
by wagahai_tt
| 2012-03-07 06:04
| 切手
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マナウスのフリーゾーン(免税都市) マナウス免税都市の切手です。 アマゾナス州の州都マナウスは、大西洋へ流れ込むアマゾン川の河口の街パラ州の州都ベレンから、約1500キロ上流のアマゾン河本流と支流ネグロ河の合流地点に位置しています。19世紀には天然ゴムやコーヒー豆、ジュート(麻)栽培の集積地として開かれて以来、アマゾン内部の経済、交通および流通の中心都市として繁栄して来ました。現在の人口は約150万人で、ブラジルのアマゾン地域最大の都市です。アマゾン地域の多くの国立公園、環境保護区に隣接している為、アマゾン観光の中心地としても有名です。また、旧市街地には開拓時代に建設された、ヨーロッパ風のコロニアル調の建物が多く残っており、メルカード(市場)には、亀や野ブタ、ピラニアなどの食材が所狭しと並んでいます。 支流ネグロ河から見たマナウス。 市内には世界有数の高級ホテルがあり、ネグロ河に面したマナウス港は、観光客や商人たちで活気に溢れています。郊外に一歩足を延ばすと、広大な牧場で牛がのんびりと草を食み、更にその先に足を延ばすと、「緑の魔界」と恐れられるジャングルが、圧倒的な勢いで迫って来ます。 雨季の増水に備えて約20mの足場の上に建っている、7階建てのアリアウタワーホテルの乾季の状態です。 アマゾン河は雨季と乾季の水量の増減が激しく、マナウス港の浅橋は、最大16メートルまで上下する浮浅橋構造となっています。浅橋には日用雑貨などを積み込んで、流域の集落を行商するレガトン船、フェリー、漁船、アマゾン探検船などがひしめき合っています。中でも特に人目を引くのは、アマゾン流域を廻る水上定期バスや、上中下3層構造の木造客船のガイオラ船。そのガイオラ船が到着すると、浅橋の周囲は、水上マーケットのような賑わいを見せており、魚や果物、民芸品や日用雑貨などを積んだカヌーや、水上タクシーなどが集まって来ます。 また、1967年にはマナウスフリーゾーン(免税都市)に指定された為に、日本など各国からの進出企業が目立っている地域です。 マナウス市内で消費される物品は輸入税等が免税で取引され、フリーゾーンから他地域や他州へ持ち出す時点で課税されます。 各国のメーカーが自国から生産部品等を輸入する場合は免税であり、完成品を販売時に課税対象となる仕組みなので、各国からの進出企業が多く集まっています。 #
by wagahai_tt
| 2012-03-01 04:51
| 切手
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