ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(38)ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。 94. 1992年にニューヨークの友人と2人で、 フランス・スペイン・ポルトガルと、10日間のヨーロッパ旅行に出かけた。 事前の予約は、ニューヨーク~パリ間のフライトとリスボン~ニューヨーク間のフライトのみで、現地での移動手段やホテルは各地に到着後に手配しながらの気ままな旅だ。 パリ のドゴール空港に到着。 広大な空港では穴を掘って生活しているのであろうウサギの出迎えを受けながら到着、入国後にパリ市内の半日観光バスを手配し、市内の観光に出かけた。 昼食はオペラハウスの近くにある海鮮料理店で、海鮮盛り合わせ二人前を注文し、運ばれて来た大皿の上に盛られていた海鮮の多さにビックリだ。大食漢の二人でも食い切れなかった。 その後、 フランス新幹線TGV でリオンに入り一泊することにした。 フランス新幹線TGVは、走りながら狭軌道から広軌道に、更に在来線の駅に到着の時は広軌道から狭軌道に車輪幅が自動的に動くので、この時は車輪とレールの摩擦音が大きい。 広軌道に出た時のスピードは日本の新幹線より早いが、横揺れが激しく乗り心地は日本の新幹線のほうが遥かに良かった。 リオン に到着後、駅構内のツーリストでホテルの紹介をしてもらい、タクシーでホテルに到着。 夕食は、市内見学を兼ねてぶらぶら散策しながら、近場のレストランで食べて、ホテルで就寝。 翌朝は、リオンから国際列車の特急ファーストクラスのチケットを購入して、スペインのバルセロナまで南下した。 それにしてもヨーロッパの国際列車でフランスから国境を越えてスペインに入っても、スペイン側での入国パスポート検査で、検印すら押してくれなかった。 折角だからパスポートにカリンボ(ゴム印)を頼んだが、入国検査員が「カリンボを持ってないのだ」と言っていた。 何とも長閑な国境の通過だった。 寝台車でバルセロナ へ到着後、タクシーで現地のホテルを探すが、タクシーが案内したホテルは高級ホテルなので断わり、安いホテルの紹介を頼んだ。 案内された安いホテルは、二人で一泊40ドルの俄か作りのホテルだった。 聞けば昨年のオリンピックで、市内の殆どのマンションがホテルに改装されたとか・・・。 俄か作りのホテルは、ひどいものでベッドにはマットの下に合板を敷いて身体の落ち込みを防いでいた。 友人が寝たベッドは合板が無く、身体が沈み寝苦しかったようだ。 更に、壁が薄いのか朝から隣の部屋のベッドの軋みがリズミカルに聞こえる程だった。 この田舎町でのオリンピック開催は、街の生活形態まで変えてしまったのか、そんな印象を受けた。 市内観光で建築着工から200年経過したと言うサグラダ・ファミリア教会 は、完成まで更に200年かかるのではと言われていて、当時も工事中だった。 オリンピック会場を訪問した時、会場ではパラリンピックの競技 をやっていた。 観客は殆どいなくて、入場料は無料だった。 選手達は素晴らしい活躍をして、メインポールに日の丸の旗も揚がっていた。 そんなバルセロナを後にして、 マドリード に向う列車のファーストクラスに乗り込み、おもむろに将棋盤を出し将棋を指し始めた。 通路を通る乗客や、乗務員が「何だ、それは・・?」と聞いてくるので、「日本のチェスだ」と答えていた。 あまりにも将棋に熱中してマドリードの終着駅に着いたのも分らなかった。ごそごそと全員が下りるので確認すると、マドリードだった。 ここでもタクシーの運転手にホテルを頼み、紹介してくれた安いキッチン・ホテルに投宿した。 そのホテルから公園を通り抜けて首都の町並みを散策しながら、フラメンコの観賞と食事の出来るレストランへ歩いて行った。 レストランに到着すると、偶然にも現地の結婚披露宴を行っていたので、入場する花嫁を呼び止めて撮影開始。 花婿が迎えに来たので、更に一緒に撮影、我々も一緒に撮影しながら新郎・新婦 を引き止めていたので、会場からはブーイングが聞こえていた。 その後、食事をしながらフラメンコ のダンスを楽しんだ。 帰りに、ボーイがいたので彼の車で市内を案内してもらい、ホテルまで送ってもらった。ラテン民族は親切だ・・・。 スペインでは闘牛を見物したかったが、滞在期間が平日のため、闘牛はやっていなかった。 闘牛は日曜日の午後か、又は祭日の午後のいずれかにやっているようだ。 マドリードを出発し、いよいよ最後の目的地であるポルトガルの首都リスボンだ。 リスボン に到着する車窓で、樹木の下半分の樹皮の剥がしてあるもの、上半分の樹皮が剥がしてある山を発見、ホテルに到着後、状況を説明して質問したら、ボーイが奥からワインのビンを持って来て、蓋のコルクだ、と説明してくれた。実に親切な説明だったよ。 コルク の樹皮は、5~7年程度で回復して、再び収穫できるようだ。 リスボンに一泊し昼間の市内観光や夜の市内観光をした後、翌日ニューヨークへのフライトの為、空港のTWA航空カウンターで手続きをしたが、何故か私のチケットだけ許可されなかった。 聞けば米国のビザが無いので駄目だとの事。 「日本人は、米国のビザは必要ない、現にニューヨークからTWA航空で出発してヨーロッパ入国したのだ」と説明しても、ポルトガルのTWA航空のカウンターの女性は、頑として了解しなかった。 当時はポルトガルから米国への入国にはビザが必要なようだった。 その時、空港内のトラブル解決隊(?)の女性が私の名前を呼びながらカウンターの前に来たので、事情を説明、彼女がカウンター譲(年配)に説明し、理解できたのか、搭乗券の再発行をしてくれた。 最後の最後に、トラブルのあったヨーロッパ旅行を懐かしく思い出した。 無事ニューヨーク に到着し、友人のアパートに一泊して、翌日はサンパウロに向けて9時間のフライトだ。 これで記憶に残るヨーロッパ旅行 も無事終了した。
by wagahai_tt
| 2009-09-13 23:18
| 印象深い事柄
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