ブラジルの切手紹介-58


ルス駅(Luz駅)

1984年に発行されたルス駅の切手です
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サンパウロの中央ターミナル駅となるルス(Luz)駅です。

サンパウロの中心部には、かつて長距離旅客列車が栄華を誇った時代の二つのターミナル駅が、今も近郊電車 (CPTM) の駅として使用されています。それがルス駅とジュリオ・プレステス駅です。
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ルス駅              ホーム

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ジュリオ・プレステス駅            ホーム

旧サンパウロ鉄道 (SPR: サンパウロ・レールウェイ) のターミナル駅であったルス駅。
サンパウロ鉄道はイギリス資本により設立された鉄道会社で、サントス~サンパウロ (ルス駅)~ジュンジャイ間を結んでいました。
その一部区間が現在のCPTM 10号線および7号線として使用されています。
イギリス風の大きな時計台が特徴的ですが、サンパウロ鉄道では、このルス駅以外でも多くの駅舎でイギリス風デザインが採用されています。
現在、駅舎内にはポルトガル語博物館 (ムゼウ・ダ・リングア・ポルトゥゲーザ) が設けられています。

1901年に創設したイギリス様式のこの駅は、歴史遺産に指定されており、修築工事をめぐって市・州・連邦政府の3つの遺産管理機関から工事反対意見が出たため、工事は見合わせられていた。サンパウロ州管轄の同工事は結局、工事計画案を変えることで解決策している。

3機関とはサンパウロ市歴史・文化・環境財産保護審議会(Compresp)、サンパウロ州歴史・建築・美術・観光財産保護審議会(Condephaat)、国立歴史・美術遺産院(Iphan)である。
セントロにあるクラシック・コンサート・ホールのサーラ・サンパウロは、ジュリオ・プレステス駅(Estação Júlio Prestes)に隣接しています。

コーヒーと鉄の運搬の目的で1925年に着工されたジュリオ・プレステス駅は完成までに13年を要したために、完成した1938年には、既に車文化の時代になっていたのです。
持て余した駅スペースの活性化の為に誕生したのが、「世界のオーケストラを招くことができる、ラテンアメリカ最大且つ最新のコンサートホール」です。
旧ジュリオ・プレステス駅に落成したコンサートホール「サーラ・サンパウロ」は、クラシック音楽ファンのみならず音楽愛好家にも大好評だ。

同駅は英国様式のルス駅に対抗してフランス建築芸術の粋を取り入れて建築されたのです。また椰子樹を植えた皇帝の庭園は、ファート侯爵が造成した歴史建造物です。
特に1,500人の聴衆を収容できる交響楽演奏用のコンサートホールが、注目を呼んでいます。天井は吊り天井で、音響効果を高めるため音楽と楽器によって高さを調節できる。
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コンサートホールの建築材料は木材、シートの布地、壁材、特等席の間取り、全て音響効果を生かすために材質と角度を計算して設計してあります。
コンサートホールのどこに座っても、立体音が全体へ響くように工夫されたので、これまで演奏会を催した世界の著名交響楽団が、コンサートホールの出来ばえを「音楽の髄ここに極まる」と絶賛したようです。

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# by wagahai_tt | 2013-03-13 05:49 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-57


リオ・デ・ジャネイロ国立植物園

1985年に発行された植物園の切手です。
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植物園はポルトガル語でJardim Botânico と言います。

ポルトガル王、ジョアン6世によって西インド諸島などから輸入されるスパイスの栽培のために、1808年に設立された。初期の栽培植物はモーリシャスのパンプルムース植物園からLuiz de Abreu Vieira e Silvaによって運ばれた。園長は Carlos Antônio Napion (1808) やJoão Gomes da Silveira Mendonça(1808 -1819)らが務めた。1812年にはマカオから茶が運ばれ、その栽培のために中国人が雇われた。1822年のブラジル帝国の成立から一般公開が始まり、現在は12月25日と1月1日を除いて毎日公開されている。
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約1.4平方kmにおよぶ敷地に、600種のラン、サボテン、アマゾンの植物群や絶滅が危惧されている植物も含んだ約8000種の植物が生い茂る植物園。

1991年にユネスコにより生物圏保護区に指定されています。ブラジル各地の植物があり、珍しい物も数多い。堅くて水に浮かばないという鉄の木「ハフ・フェホ」、ブラジルの国名の由来となった赤い染料がとれる「パオ・ブラジル」などの木を探してみよう。

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また1935年に65種の日本特有の植物が贈与され造られた、日本庭園もぜひ訪問してみてください。

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植物園の入り口までの750mはブラジルの植物学者で園長を務めたジョアン・バルボーザ・ロドリゲスの名前の750mにわたるヤシの並木道が続いている。公園の40%だけが、人工栽培地で残りはマタ・アトランティカ(大西洋岸森林)の自然林である。公園はブラジルの国定歴史芸術遺産(Patrimônio Histórico e Artístico Nacional)として保護されており、1992年にユネスコに指定された。

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# by wagahai_tt | 2013-03-08 04:00 | 切手 | Comments(3)

ブラジルの切手紹介-56


ブラジル軍服の変遷

1985年に発行されたブラジル軍の初期の軍服の切手です。

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f0096068_3543050.jpg 南米大陸13ヶ国の大半が19世紀前半に独立した南アメリカ諸国の軍服は、同時期のヨーロッパ諸国(特に旧支配国のスペイン、ポルトガル)のパターンをほぼ踏襲する形で出発した。
その後、特に陸軍の軍服においては主に以下の3国の影響を受け、これらの要素が混在しながら各国の軍服の個性を生かしていると言える。

フランスの19世紀中葉~同世紀末の軍服、
ドイツの19世紀末~第二次大戦前の軍服
アメリカ合衆国の第二次大戦後の軍服の影響を受けている。




ブラジル陸軍の軍服
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ブラジル海軍の軍服
海軍の軍服は、ほぼ一貫してイギリスの影響を受けたものであった。
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ブラジル空軍の軍服
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# by wagahai_tt | 2013-02-27 04:05 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-55


サン・ジョアン・デル・レイ駅

1984年に発行されたサン・ジョアン・デル・レイ駅の切手です。
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オエステ・デ・ミナス鉄道は、ブラジル、ミナス・ジェライス州のサン・ジョアン・デル・レイからチラデンテスまでの12kmを結ぶ、観光用の保存鉄道である。1989年にブラジル国立歴史芸術遺産協会 (Iphan) により歴史遺産に認定された。

前身である軌間762mmの鉄道網は、地域の殖民に寄与する目的で1881年に敷かれ、1960年には一部が軌間1000mmに改軌されたが、残りの区間は1983年に放棄されたままであった。1980年代初期に、市民団体であるABPFの運動の結果、2つの歴史的な街を結ぶ区間が保存鉄道として復活した。ヴァーレの子会社であり、この地域の貨物鉄道を運営するFCA (中部大西洋鉄道) が実際の運行を担当している。4両の蒸気機関車が動態保存されている。
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サン・ジョアン・デル・レイの駅には博物館があり、軌間1000mmのものを含む機関車や客貨車が保存されている。また転車台や修理工場も併設されている。

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# by wagahai_tt | 2013-02-20 03:58 | 切手 | Comments(0)

イガラッペ・アスー、サンブラス部落で講習会

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Asflora2月度現地活動報告を紹介します。

イガラッペ・アスー、サンブラス部落で講習会 (2013年2月6日)

Asflora(アマゾン森林友の協会)は、東京農工大学やJICA草の根プロジェクト「遷移型アグロフォーレストリィ普及・認証計画」と提携し、サンタ・バルバラ市エスペジット・リベイロ入植地に加え、イガラッペ・アスー市(ベレン市より220㎞)でも、アグロフォーレストリィの普及活動に加わっています。
この草の根プロジェクトでは、イガラッペ・アスー市サンブラス部落(市街地から17㎞)で、零細農民へのトメアスー方式によるアグロフォーレストリィの導入を開始しています。 
2月6日午前10時に、プロジェクト地域の農民10名に集まって貰いました。佐藤、マルルッシ、アンデルソンの三名(Asfloraのメンバー兼農工大プロジェクトチーム)より、このプロジェクトを再説明し、安全作業、ゴミ処理などについての話をしました。
サンブラス部落は小さな集落で9家族からなり、リーダーはアンテーロでみな親類です。講習会は、アンテーロの家の居間で、プロジェクターを使って始めましたが、始めて10分もすると雨が降って来て、停電、近代兵器?は用をなしません。
以下、写真で当日の模様を紹介します。
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上写真) アンテーロ(写真右から2人目)の居間で、マルルッシ講師が堂々たる講話中です。 
消毒作業の時間、マスク使用、安全を守るために長靴、作業手袋の使用 などを話しています。 
今までやっていなかったことです。 先週、アンテーロがテルサード(蛮刀)で、左手の甲を切り、神経が切れてしまって3日間、カスタニャールの病院に入院した事故直後でしたので、みんな注意深く聞いていました。
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写真左)左手に包帯をしているアンテーロ。神経をつないでもらって、指が動くようになっています。事故の際本人は、血があまり出ないし、ほんのかすり傷と思っていたようです。   
写真右)停電後、ノートパソコンの画面を使って説明しました。

居間に入りきれなかた人たちは、玄関から熱心に聞いてくれていました。(写真下)
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講習会後、1月に植え付けを済ませたアグロフォーレストリィ展示圃場を見てきました。
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この展示圃場の面積は1ヘクタールです。 バナナやカカオの列間にトウモロコシが芽吹いています。

写真左上は、胡椒とマラクジャ(パッションフルーツ)が植えられています。 胡椒は、4種類(カリムンダ、シンガポール、コタナダン、パニル)の苗木を植えまた。支柱は、通常の木材支柱と、生木(gliricídia)支柱(写真の右)を取り入れています。

この近くでは、トメアスー方式アグロフォーレストリィ(SAFTAと呼ぶ)は、初めての試みで生木支柱も初めての導入になりました。

これから、この展示圃場の生育に合わせて、サンブラス部落の人たちだけでなく、周辺の小農家の人たちを呼んで、アグロフォーレストリィの講習を行ってゆく予定です。

零細農家の人たちは、苦しくなって住み慣れた土地から離れていくことが多くなっています。このプロジェクトが少し収益を上げる指針となり、住みなれた土地から離れず、地域に伝わる生活習慣(農村文化)が続く手助けになれるなら喜ばしい事と思います。

サンブラス部落の一軒
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                                                                以上

佐藤卓司
Asflora(アマゾン森林友の協会)代表
東京農工大客員教授・JICA草の根プロジェクト現地調整員

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# by wagahai_tt | 2013-02-13 05:03 | Asflora | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-54


カンピーナス農業組合

カンピーナス農業組合の100周年の切手です。
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カンピーナス(Campinas) は、ブラジル南東部サンパウロ州の都市。標高約700mの高原に位置する。サンパウロにつぐ同州第二の都市です。

当初カンピーナスは、ブラジルの奥地開拓者(バンデイランチス)の基地として建設され、カンピーナス・ヂ・マト・グロッソと名付けられた。最初の入植はフランシスコ・バヘット・レメ・ド・プラドの下1739年から1744年の間に行われた。
1797年には町に昇格し、名称もヴィラ・ヂ・サォン・カルロスに変更されたが、1842年に市に昇格した際にカンピーナスとなった。

初期のカンピーナスの主産業は農業で、肥沃な土壌を利用して主にサトウキビやコーヒーの栽培が行われていた。しかし19世紀後半に入るとコーヒーの需要が伸び、市の人口は飛躍的に増加した。空前のコーヒー景気の中1872年にはパウリスタ鉄道会社が設立され、カンピーナスはブラジル有数の大都市へと成長した。

下町のイペの街路樹
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20世紀に入って黄熱病が流行し、人口の3割を失う大きな打撃を受けたが劇的な復興を見せ、「不死鳥の町」として広く知られるようになった。

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# by wagahai_tt | 2013-02-06 04:22 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-53


カイシャ・エコノミカ銀行

1986年に発行された、設立125年を記念する切手です

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CAIXA ECONÔMICA FEDERAL(カイシャ・エコノミカ・フェデラル)は、主に、州政府および都市のインフラ整備に関する融資も含めての企画、立案ならびに教育、医療、衛生関係、住宅取得への資金供給のほかに、個人ならびに民間生産部門への一般融資、年金基金と社会統合プログラム等を運用する最大の政府系金融機関であり、多くのブラジル人にとって欠かせない存在です。

CAIXA(カイシャ)は1861年1月12日に、預金の奨励と担保付貸付の提供を目的として、法令第2723号に基づきドン・ペドロ2世により設立されました。
これらのサービスは、他の金融機関と異なり、預金を保証するだけでなく、当時他の金融機関が行っていたような、借入人に対して法外な金利を要求する市場に対抗するためです。

CAIXAは、奴隷解放証明書の購入によって自由を手に入れようとしていた奴隷や社会的身分の低い人々が資金を集めるのを助け、これらの人々から大きな支持を得たように、CAIXAは設立当初から、社会問題に焦点を当ててきたのです。

今日では、CAIXAはラテンアメリカ最大の政府系銀行になっています。3,600以上の拠点を持ち、ブラジル国内5,564の市町村すべてにおいて、5,100万人のお客様にサービスを提供しております。

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ブラジル財務省傘下の100%政府系銀行として、CAIXAは公共政策、特に都市開発やインフラ整備、低所得者向けの社会プログラムの実施に際し、重要な役割を担うことを目指しています。政府によるBolsa Família(家族給付金)プログラムにおいては、CAIXAのネットワークにより、1,300万世帯が援助を受けています。このプログラムにより、2003年から09年の間に、2,400万人ものブラジル人が低所得層から中間所得層に上がることができました。

またCAIXAは、50年前に、BNH(国立住宅銀行)を吸収合併し、市場の74%を占める大規模な住宅ローン融資を行う一方、都市開発、特に上下水道の整備に関する投資信託も斡旋しています。

ブラジルの連邦貯蓄銀行(CAIXA)が浜松市に駐在事務所を開設しました
在日ブラジル人の生活向上を目的に当金庫と業務提携をしているブラジルの連邦貯蓄銀行(カイシャ・エコノミカ・フェデラル)が、2007年(H19年)2月8日浜松市(浜松センタービル7階)に日本初の駐在事務所を開設しました。
事務所には従業員2名が常駐し、将来の支店開設に向け、銀行免許取得の準備や市場調査を行います。

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開設記念式典には、両金融機関や県、浜松市、磐田市の関係者約50人が出席し、テープカットや鏡開きなどで開所を祝いました。
式典の様子は、モニター中継し本国ブラジルの連邦貯蓄銀行でも放映されました。

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# by wagahai_tt | 2013-01-30 04:06 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-52


サルト・デ・グアイラ

1982年に発行されたサルト・デ・グライアの切手です。

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サルト・デ・グアイラはブラジルとパラグアイの国境にある大きな滝です。

パラグアイの東北地方、パラグアイ国内ではブラジルの中央部サンパウロ等の主要都市に最も近いカニンデジュ県の県庁があるサルト・デ・グアイラ市は今パラグアイで一番注目されている街です。地理的にはブラジルへ近いので,アクセスが良くなれば、物流・観光の街に大変身する可能性を秘めています。

この街から南では大河ラプラタの本流パラナ河が両国の国境になっており、通行が非常に難しく約250キロ下流にあるエステ市とフォス・ド・イグアス市を結ぶ「友情の橋」 しかパラグアイ-ブラジル両国を結ぶ橋は無く、全てのものがここを通行するので非常に混雑しており、サルト・デ・グアイラを通るルートが新しい両国の交通のルートとなることが期待されています。

現在新しい橋が建設中であり、両岸の建設中のアクセス道路が出来た時にはこちらがアスンシオン-サンパウロのメインルートになることが予想されます。
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現在はパラナ河の両岸をバルサと呼ばれる簡易フェリーが結んでいます。車を載せているバウサを押し船が押していく方法です。
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パラナ河の川幅は非常に広く約5キロあり、30分で結んでいます。川岸には日本のような設備があるわけでなく自然の土に船の先を突っ込むという方式で接岸します。

パラナ河をはさみ対岸はブラジル・グアイラ市となっています。グアイラ市は緑の多い静かな美しい街で、ブラジルらしい良さを持っている街です。フォス・ド・イグアスまでの途中にはドイツ系の街が点在しており、奇麗なホテルなどもあり、隠れた観光スポットと言えます、このホテルは夫婦で朝食付きで4千円、昼のシュラスコ(ブラジル風バーベキュー)が一人千円というサンパウロから見ると夢見たいな価格です。

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# by wagahai_tt | 2013-01-23 03:01 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-51


ハレー彗星

1986年にブラジルで発行されたハレー彗星の切手です。

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ハレー彗星は、約76年周期で地球に接近する短周期彗星である。公転周期は75.3年。多くの周期彗星の中で最初に知られた彗星であり、古来より多くの文献に記録されている。前回は1986年に回帰し、次回は2061年夏に出現すると考えられている。
1986年2月9日の接近は、ハレー彗星の過去の全ての出現の中で、地球からの観測に最も不向きだった

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1986年の地球接近後もハレー彗星の観測は続けられた。1991年2月にはハレー彗星が突然光度を増したことが観測されている。この増光の原因は不明であるが、以下のようないくつかの説が考えられた。

別の天体との衝突
彗星の崩壊(太陽風の圧力などによる)
内部構造を原因としたガス噴出量の増加や発熱


その後、ヨーロッパ南天天文台 (ESO) が1994年と2003年3月にハレー彗星の姿を観測しているため、核本体が失われるような衝突や崩壊は起こっていないと推定されている。

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# by wagahai_tt | 2013-01-16 02:21 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-50


ロス・オリンピック

1984年にブラジルで発行されたロス・オリンピックの切手です。

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ロサンゼルス(英語:Los Angeles)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州の都市で、ニューヨークに次いで全米2位の人口規模を持ち、アメリカ西海岸を代表する世界都市の一つです。

「Los Angeles」という都市名は、スペイン語の los ángeles、すなわち、「天使」を意味しています。

ロサンゼルスオリンピックは、アメリカ合衆国のロサンゼルスで行われた第23回夏季オリンピックであり、期間は1984年7月28日から8月12日まで開催されました。

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この大会は1セントも税金を使わずに行われた。スタジアムも1932年に開催された大会時のものを使っている。それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担し赤字続きで大きなダメージを残したこともあり、1984年大会の開催都市立候補はロサンゼルスだけで、オリンピック開催は不人気だった。
税金を使わなければ、政治的介入を阻止できると、南カリフォルニアオリンピック委員会は考えたのである。

開催するために必要な費用は、
1.テレビ放映料: テレビ放映権は、それまでの常識を超える金額を最低価格として提示、アメリカ4大ネットワークのうちで一番高い金額を示したABCと約450億円で契約。放映権料を前払いとして、利息を稼ぐ徹底ぶりだった。
2.スポンサー協賛金: それまで多くのスポンサー企業がマークを使用、多種多様な活動をしたが、スポンサー数があまりにも多すぎたので、メリットが半減していると判断し、スポンサーは1業種1社、合計で30社と数を減らして価値を高めた。ロサンゼルス五輪のマークを自由に使える、というのが条件だった。コカ・コーラとペプシが激しいスポンサー争いを演じ、他業種もスポンサーに次々に名乗りを上げ、高額の協賛金が集まった。
3.入場料収入
4.記念グッズの売上
4本柱 を立てて賄った。

1980年に行われたモスクワオリンピックに、その前年に行われた「ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する」という理由で、アメリカが西側諸国にボイコットを呼びかけた結果、日本や西ドイツ、韓国など多数の西側諸国が参加しなかった。その報復として東側諸国は本大会をボイコットした(表向きの理由は1983年のアメリカ軍によるグレナダ侵攻に対する抗議)。

不参加国はソビエト連邦、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ベトナム、モンゴル、北朝鮮、キューバ、アフガニスタン、アンゴラ、イラン (モスクワオリンピックも不参加) などである。
中華人民共和国は中ソ対立以降、ソ連との関係が悪化しアメリカ側についたため、モスクワオリンピックは不参加、ロサンゼルスオリンピックは参加した。

旧ソ連・東欧圏の選手が出場しなかった中、ブラジル選手は出場して活躍した。

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# by wagahai_tt | 2013-01-09 03:23 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介‐49


ブラジル航空機産業の日

1982年に発行された航空機産業の切手です。
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エンブラエルは1969年にブラジルの国営航空機メーカーとして誕生した。ブラジル空軍の航空技術研究所の技術者の力によって、双発プロペラ旅客機「EMB 110 バンデランテス(別名:バンディランテ)」を開発し1972年に初飛行させた。同機は日本を含む世界中の数多くの航空会社で運航され、成功を収めた。「ブラジルの誇り」と言われた所以である。
さらに1976年には「EMB 121 シング」が初飛行し、1983年には、小型ターボプロップ機の「EMB 120 ブラジリア」と、ターボプロップのタンデム複座型練習機の「EMB-312 ツカノ」を相次いで発表した。

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EBM110                       EBM312

EMB 120 ブラジリアはEMB 110 バンデランテス同様に世界各国の航空会社に採用された上、EMB-312 ツカノもイギリス空軍などで採用されたほか、ブラジルでも練習機兼用のゲリラ掃討用COIN機として現在も利用されている。しかし、国営のためもあり社員に公務員気質がはびこり赤字経営が続いたものの、一向に体質改善に意識が向かわなかった。

ブラジル人は航空分野のパイオニアでしたが、航空機産業がブラジルで本格化したのは、1970年代のことです。

今日では、ブラジルは世界有数の航空機メーカーであるエンブラエル(Embraer)社を擁している。同社は定員数110席までの商業用ジェット旅客機の製造に関して世界をリードしている。
商業用旅客機、エグゼクティブ級旅客機、国防用航空機の設計・開発・製造・販売・アフターサービスの分野で36年の経験を有しており、ブラジルの主要な輸出企業の1つである。

サンパウロ州の首都サンパウロ市から約90キロメートルに位置するサンゥ・ジョゼ・ドス・カンポス(Sao Jose dos Campos)市に本社を置くエンブラエル(Embraer)社は中国、シンガポール、米国、フランス、ポルトガルの各国に現地法人、代表事務所、顧客用サービス拠点等を置いている。2005年12月30現在で同社は従業員16,953名、受注残高104億ドルを記録していた。

エンブラエル(Embraer)社の前身であるEmpresa Brasileira de Aeronautica S.A.(ブラジル航空機工業株式会社)の創立は1940年代に遡る。1946年にサンゥ・ジョゼ・ドス・カンポス(Sao Jose dos Campos)市に空軍技術センター(Centro Tecnico de Aeronautica : CTA)が開設されて現在の航空宇宙技術センター(Centro Tecnico Aeroespacial)に発展し、同センター内には1950年以来航空技術大学(Instituto Tecnologico de Aereonautica: ITA)が機能している。

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# by wagahai_tt | 2013-01-02 05:06 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-48


パラシュート部隊

1985年に発行された陸軍パラシュート部隊40周年の切手です。
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ブラジル・リオデジャネイロの「ファベーラ」と呼ばれるスラム街を拠点とする 犯罪組織と警察の衝突激化で、ブラジル政府は、陸軍パラシュート部隊を派遣し、“市街戦”を繰り広げ組織の壊滅作戦に乗り出した。

顔にペイントし、迷彩柄のTシャツ姿の兵士が自動小銃を手に次々とファベーラに到着し、空と陸の2方面から組織を抑え込む作戦を実行した。

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警察側は特殊部隊や装甲車、応援の軍兵士ら約2500人規模で掃討作戦を強行した。
一連の銃撃戦でメンバー45人が死亡し、200人近くを逮捕した。
制圧後のファベーラ捜索で、大麻40トン、コカイン200キロなどを押収したという。

スラム街「ファベーラ」を拠点とする麻薬組織は、もとからの麻薬カルテルではなく、1964~85年の独裁政権時代に反対勢力を沈黙させるために動いていた準軍組織の暗殺部隊を起源とする「民兵」 と呼ばれる新マフィア勢力だそうです。

「民兵」の由来は、1964~85年の独裁政権時代に反対勢力を沈黙させるために動いていた準軍組織の暗殺部隊にさかのぼる。その後は非番の消防隊員や警官、看守などが「民兵」を構成するようになり、ストリートキッズなどを取り締まってきたが、長年、麻薬カルテルよりは「悪質でない」とみなされていた。
しかしこの「民兵」が、最近になってリオで広く支配力を強め、新マフィア勢力に成長した。2006年には、西部の数か所のスラムに浸透してカルテルを追放し、頭角を現してきた。

発表された報告によると、リオのスラムでも規模の大きい上位250か所のうち100か所以上を「民兵」が支配している。一方、リオ最大の麻薬カルテルが現在支配下に置くスラムは、わずか55か所だ。

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# by wagahai_tt | 2012-12-26 03:47 | 切手 | Comments(0)

エコ・クリスマス

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Asflora活動報告を紹介します

エコ・クリスマス
(2012 年12 月14 日)


ASFLORA(アマゾン森林友の協会)は、年末恒例のエコ・クリスマス祭を行いました。

12 月14 日(金)、ベレン市から50km離れたサンタ・バルバラ市ジェニパウーバ街道沿いで、題して「地下水源の森つくり」 植樹祭がメイン行事です。

今回の催しは、ミネラル・ウォーター会社(エストレィラ・ダウバ印)の敷地で、同社と隣人のエスペジット・リベイロ環境農業入植者協会及びAsflora が準備しました。 真珠のミキモト様(EFF/緑の募金助成プロジェクト)、イオン環境財団様の助成を得た水源の森づくりプロジェクトの一環です。

午前8 時半、エストレィラ・ダウバ工場の建屋に近辺の学校生徒たちがバスで次々にと到着、児童・生徒数400 人、保護者と近隣住民や来賓を入れると500 人が集まりました。バスの故障で来られなかった子達がまだ200 人居たそうです。きっと楽しみにしていたことでしょう。可愛そうでした。

植樹前、エスペジット部落婦人会によって、パントマイム、風船割り遊び、学校別の紹介などで景気づけ、盛り上がりました。

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↑子供二人を呼んで、パントマイム

今回植樹する所は、アスファルト道路に面していて、以前牧場(200ha)になっていた草地の一部です。ミネラルフォーター会社の社主ロベルト氏は、2 年前からアサイヤシを植え、再生してくる灌木は切らずに、植生の回復をしようとしています。

ここの地下には、地域の二つの川(タウア川、トラカテゥア川)の水源となる地下水脈があって、とても良質な水を汲み上げることができています。でも、地上は痩せた砂地で、手入れをしているのに、植えたアサイヤシはなかなか育ちません。

地域の人たちを集めて、「地下水源の森つくり」をしようという提案を8 ヵ月前にしたところ、ロベルト氏と隣人のエスペジット入植地の人たちから賛意を得ました。

Asflora 代表の佐藤から、ここでの森づくりの意義の説明をし、植樹祭の開始です。

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左上、佐藤が師匠の宮脇先生に習って、子供たちに苗の名を言わせています。
右上、在ベレン大岩領事が流暢なポルトガル語で、子供たちに楽しいスピーチしてくれました。

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↑Asflora 森の劇から3 役が登場、子供たちに植え方の説明をします。

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花火を合図に植樹地へ移動(写真左上)。この日はまだとても乾燥していたので、苗木は24 樹種1,200 本だけを植えました。雨模様を見ながら、全部で9 千本の苗を植えることしています。

f0096068_334434.jpg←車椅子でお父さんと参加してくれた子は、手にしているイペーの木を植えました。
お父さんに抱えて貰い、私がサポート。手足が不自由ですが、後ろ向きになって、手を動かして土をかけました。
蟻の巣を踏んでしまい、3 人ともひどく噛まれました。
恥ずかしがり屋さんで、笑顔がとても可愛い子でした。

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f0096068_3392235.jpg←輪となって「Viva Natureza!=自然万歳」三唱しました。
今回は、参加者が大勢の割に、本数を抑えていますので、人の輪が植えた所を大きくはみ出しました。




植樹後、建屋に戻り、ランチタイム。
その後で、お待ちかねのクリスマスプレゼントが、子供たち全員と、子供の枠をはみ出ている青少年にも行き渡りました。
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今回のエコ・クリスマス、裏方で準備に励んでくれたAsflora のマルルッシ、アンデルソン、ミネラル・ウォーター会社アルイージオ支配人とロベルト社長、エスペジット・リベイロ入植地協会(ミランダ会長)、同婦人会(ジョエルマ会長)、進行係りをしたAsfloraエルトン(Aimex 種苗センター責任者)の労に感謝します。
今年も参加して下さった、「アマゾン群馬の森」平形支配人、瀬古商会の瀬古さん、在ベレン日本国総領事館、サンタ・バルバラ市役所、同市の公立学校、初参加のブラジル郵便局パラ州環境委員他、みなさんどうもありがとうございました。そして、Asflora 便りのご愛読とご支援を寄せて頂きました皆様、ありがとうございます。

皆様、良いお年をお迎えください。

2012 年12 月16 日
ASFLORA 代表 佐藤卓司
副会長 山中正二
他役員一同

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# by wagahai_tt | 2012-12-19 03:50 | Asflora | Comments(0)

ブラジルの切手紹介‐47


本の日

1982年と1984年にブラジルで発行された本の日の切手です。

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1923年に、カタルーニャ地方の本屋が、4月23日が、小説『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日(1616年)であり、さらにシェイクスピアの伝説上の誕生日(1564年)であって、文学に非常に縁の深い日でもあることと結びつけて、プレゼント用に本を買うと赤いバラを添えて、本を贈るという風習を広めたのが始まりです。

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「世界 本の日」は、1995年11月、パリで開催されたユネスコ総会において、毎年4月23日を、「世界 本の日」とする宣言文が採択されたことによるもので、本の良さを再認識し、親近感を育むことを目的としています。また、この日は、従来「サン・ジョルディの日」としても親しまれており、愛と知性の文化運動として、日本でも23年にわたってPR活動が続けられています。

バルセロナを中心とするカタルーニャ地方では、大切な人に美と教養、愛と知性のシンボルとして、1本の薔薇と1冊の本を贈り、この日を祝います。男性は女性に花を、女性は男性に本を贈るのが一般 的で、家族や友達の間でもプレゼントが交わされます。

さて、 この「サン・ジョルディの日」は、カタルーニャの人々のアイデンティティと実に深いかかわりがありま
す。それは、サン・ジョルディがカタルーニャ地方の守護聖人であるということ、そして、獰猛なドラゴンを相手に勇敢に闘い勝利を収めた騎士サン・ジョルディの姿が、カタルーニャの自治や言語を禁止した独裁政治と闘う精神と重なったことによると言われています。

4月23日は現在では国連の国際デー「世界図書・著作権デー」に指定されています。
4月23日が偉大な文学者、ミゲル・セルバンテスやウィリアム・シェイクスピアの命日にあたるからで、彼らに敬意を表して4月23日が「世界本の日」に選ばれたそうです。

皆さんもこの機会に、本や薔薇の花を改めて手にとってみてはいかがでしょう?

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# by wagahai_tt | 2012-12-12 06:12 | 切手 | Comments(0)

農業研修会

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Asflora活動報告を紹介します

農業研修会
(2012年11月20日、21日)

Asflora(アマゾン森林友の協会)と東京農工大(JICA草の根プロジェクト・アグロフォレストリー普及計画)では、サンタバルバラ市、エスペジット・リベイロ入植地(ベレン市から約50㎞の開拓部落)と、イガラッペアスー市サンルイス区サンベント部落(ベレン市から約140㎞)で、2012 年11月20日、21日に、農業研修会を開きました。 この研修会は、Dia do Campo(畑の日)と呼び、トメアスー農協(以下CAMTA)が協力してくれています。 講師にはCAMTAのベテラン技師、ジナルドです。 11月20日は、エスペジット・リベイロ入植地の農民15名が参加、翌21日は、サンベント部落で農民8名が参加しました。
 以下、箇条書きで講習会の模様をお伝えします。

サンタバルバラ郡エスペジット・リベイロ入植地圃場講習会 (11月20日)

1.トメアスーよりCAMTAのジナルド技師を招き、サンタバルバラ郡エスペジット・リベイロ入植地TUAT圃場及び入植者の耕地にて、技術指導会を同日9時30分~12時半に行った。 

2.入植地協会ATRAER(Associação de Trabalhadores Rurais Agroecolico Expedito Ribeiro)農民12名(内10名が女性)、アンデルソン、佐藤が参加した。

3.始めに、Dinaldoから、アグロフォレストリーが持続的な生産を上げ、土地を有効利用していくことを、先月ボリビアで行ってきたSAFTAの指導と現地での成果例を話しながら、全員の興味を引き立てるように話を行った。次いで、農民からパパイヤ、マラクジャ(パッションフルーツ)、アサイなどの肥培管理、病害虫防除について質問に答えていった。ジナルドは、マラクジャの新品種(EMBRAPA‐Ouro-vremelho)と緑肥となりマンガーバ(Bomus属)を引き付けるクロタラリア(Crotalaria pumila)の種子を持参してくれた。このマラクジャ新品種は、病害に強く、人工授粉(注)を要しないとされる。
(注:マラクジャの人工授粉は、昼下がりの最も暑い日中に行わなければならない、ミツバチ、アベーリャ・カショーロなどは授粉できず、花粉を持ち去るのでマラクジャには害虫)

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↑右が講師のジナルド            ↑マラクジャの新品種Ouro-vermelho

4.農工大展示圃場で、カカオ、アセロラ、クプアスの剪定実習を行う。
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5.この後、入植者の耕地に移動。 ここでは小規模ながらのタンバチンガ(注)の養殖を始めている。マラクジャを植えた現場で指導を行った。耕主のトンは、マラクジャを初めて植えたということで、針金にどう蔦を巻くかの基本からの指導を授かり、とても喜んでいた。(注:YouTube http://www.youtube.com/watch?v=qEhirfwWPFY に大物を釣っている映像あり)
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ついでに、アサイの先端が枯れるものがあるということで、実物を見て調べて貰う。弱ったものを切ってみると、微量要素不足と見られるので、ホウ素肥料の補給をしてみるようにと助言を得た。
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↑設置中のコミュニティ苗畑にて、講習会参加者たち

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アグロフォレストリー展示圃場にて


イガラッペアスー郡サンベント部落 講習会(11月21日)

1.11月21日午前8時、佐藤、ジナルド、アンデルソンは、イガラッペアスー市街地より16kmのサンルイス区サンベント部落に到着。まず、同地に設置する展示圃場予定地を視察する。11月13日に地元日系人の油やし会社PALMASA社の協力で、トラックターを出して貰い、一日で地拵えを終えている。本当は、手作業で農民自らが地拵えを行う方が良いのだが、農民8家族の小さな部落であり、病気になった家を助けて、畑を開く作業などに追われているので、PALMASA社に助けて貰った。 砂質土壌で、繰り返し焼畑耕作が行われている痩せた土地である。 パラ州で古くから焼畑が行われてきた、ブラガンチーナ地域の典型的な耕地である。
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2.サンブラスの人たちは、6家族が耕地に住み、2家族が2~3㎞離れたサンルイス村に住んでいる。8家族とも全て親類で、親の代から農業を続けているが、ゆとりができず子供たちが離農し、このままでは、いずれ土地を手放し、アブラヤシ園、牧場になってしまうことだろう。熱帯で、零細農業者でも持続可能な営農ができるアグロフォレストリーのモデル農場をたちあげようと、本プロジェクトは目指している。

3.イガラッペアスー市シャーレス農務部長も、オートバイで講習会に駆けつけてくれる。部落からの参加者は、男性のみで9名。 準備に入った展示圃場つくりがアグロフォレストリーを手掛けて学ぶ場となることなどを話し合う。 今年この部落からも4名が視察した、トメアスー第4区と呼ぶ部落のように、見学者があちこちから訪れるようになるだろうとジナルドから言われ、みんな元気づけられる。
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4.次いで、部落のリーダー、アンテノールの畑で、カカオ、アセロラ、クプアス、アバカテ(パイナップル)の仕立て方と剪定の講習を行う。
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↑中央が、サンブラス部落のリーダー、アンテノール。帰り際、耕地で採れたてのアバカテ(パイナップル)、レモンなどを頂いた。

東京農工大学JICA草の根プロジェクト 現地調整員
Asflroa(アマゾン森林友の協会) 代表
  佐藤卓司


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# by wagahai_tt | 2012-12-05 02:54 | Asflora | Comments(0)

ブラジルの切手紹介‐46


ペドロⅡ世

1982年に発行されたペドロⅡ世の切手です。

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ペドロⅡ世(Pedro II、1825年12月2日 - 1891年12月5日)は、ブラジル帝国の第2代でしかも最後の皇帝(在位:1831年 - 1889年)です。初代ブラジル皇帝ペドロⅠ世とオーストリア皇帝フランツⅠ世の次女マリア・レオポルディナ皇后の長男で、ポルトガル女王マリアⅡ世の弟です。ブラジル本国では一般にドン・ペドロⅡ世(ドン・ペドロ・セグンド)と呼んでいます。
1825年12月2日リオ・デ・ジャネイロ生まれのため、ブラジル生まれの君主が誕生することとなったのです。

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ペドロⅡ世は学問や芸術を愛好するリベラルな君主で、フリーメイソン(友愛団体)の会員でもあり、憲法で国教と定められたカトリック教会を抑圧、新大陸で不可欠とされた黒人奴隷制の廃止にも尽力した。しかし、この政策は王政の支柱たる教会と地主層の離反を招くことになった。
ペドロⅡ世は頭が大きかったのか、学問や芸術の愛好家だったからか、この切手にはCabeca Grande(頭でっかち)と書いてあります。

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# by wagahai_tt | 2012-11-28 03:08 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-45


ミナス・ジェライスのカルモ教会(Igreja do Carmo)

ミナス・ジェライスの広場に立つカルモ教会の切手です。
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18世紀後半から19世紀初頭に建設された上品な雰囲気の教会ですが、残念なことに、内部は1999年に焼けてしまい修復したとのことです。
このカルモ教会は黒人が使用することを許された教会です。

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カルモ修道院 (Convento da Ordem do Carmo)は、ポルトガルの首都リスボンにある中世につくられた修道院で、1755年11月1日、リスボン大地震で修道院と教会のほとんどが破壊され、その後再建されず廃墟となっています。崩壊したゴシック様式の教会「カルモ教会」(Igreja do Carmo)は、大地震の爪痕です。

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# by wagahai_tt | 2012-11-21 03:04 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-44


シモン・ボリバル生誕200年

1983年にブラジルで発行されたシモン・ボリバル生誕200年の切手です。

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シモン・ボリバル(シモン・ホセ・アントニオ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダー・ボリバル・イ・パラシオス、Simón José Antonio de la Santísima Trinidad Bolívar y Palacios、1783年7月24日 ~ 1830年12月17日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家です。

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ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、16歳のとき1799年にスペインで任官していたおじを頼ってヨーロッパに渡った。
ボリーバルは1811年にベネズエラに帰国し、3月に開かれた制憲会議で演説を行った。1811年7月に、制憲会議がベネズエラの独立を宣言した。
ボリーバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれた。

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# by wagahai_tt | 2012-11-14 01:54 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-43


ブラジルの独立

1982年に発行されたブラジル独立の切手です。
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1822年9月7日、ペドロはサンパウロのイピランガ川のほとりで「独立か死か」との、いわゆる「イピランガの叫び」を発し、ブラジルの独立が宣言された。ペドロはリオでブラジル皇帝ペドロ1世として即位し、ブラジル帝国が建国され、ハプスブルク家の黄色とブラガンサ家の緑のリボンで町は満ち溢れた。ポルトガル軍は残留したものの、ホセ・デ・サン=マルティンに仕えてペルー解放に同行した元英王立海軍の軍人、トマス・コクレーン卿の活躍もあり、マラニョンのポルトガル軍は排除された。こうしてブラジルの独立が達成された。
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ブラジルの独立はリスボンの政治家達が激しく反対した一方で、ブラジルの側近達が後押しして、若き王子の心は独立へと傾いていった。王室がポルトガルに帰還してから約1年後の1822年9月7日、王子はブラジル「帝国」の独立を宣言し、同年12月1日、自らをドン・ペドロ1世と称して正式に皇帝の地位についた。

ブラジルの独立はイスパノアメリカ(中南米大陸のスペイン植民地) 諸国の独立と比べると大きな混乱や政治的な対立を伴わずに達成された。
これは植民地時代にブラジルを包括する原初的な国内市場が成立していたことと、ポルトガル王室のブラガンサ家が帝位に就いたために、イスパノアメリカ諸国のような分裂状態には陥らなかった。
しかし、このことはイスパノアメリカ諸国が解放者シモン・ボリバルやホセ・デ・サン=マルティン、ミゲル・イダルゴらによって16年間続けられた独立闘争により、曲がりなりにも本国出身者から政治権力を奪取したのとは対照的に、ブラジルにおいては植民地時代の権力構造と大地主の支配がそのまま継続したことにも繋がった。
既に1808年のリオ・デ・ジャネイロ遷都と共に、イギリス資本に国内市場が解放され、イギリスから莫大な投資が流入し、イギリスへの経済的従属が始まっていた。


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毎年9月7日は独立記念日として全国民が祝っている。アマゾン河口の街パラ州ベレン市でも軍隊の行進があり、軍と国民が一体となって祝っています。

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# by wagahai_tt | 2012-11-07 03:44 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-42


コロンブス

1984年にブラジルで発行されたコロンブスの切手です。
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クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール(スペイン語で征服者の意)、奴隷商人。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりです。
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一般的にコロンブスの「功績」はアメリカ大陸を“発見したこと”と語られることが多いが、アメリカ大陸にはこれ以前からインディアンやインディオなどのモンゴロイド系先住民族が一万年以上前から居住し独自の文明を築いていたことを考えると、“発見”という言葉自体がヨーロッパ中心で世界を見る視点に立脚した発言と言わざるを得ません。

従って、中立的な視点では「大西洋航路の発見」、つまりヨーロッパとアメリカ大陸を結ぶ「航海路を発見した」というのが、その真の功績であると言えます。コロンブスのアメリカ大陸到着以前はユーラシア大陸と北米大陸の住人や国家、文明の間には相互の文化や経済、政治などに影響を与え合うほどの交流がほとんど無かったことから、「世界の一体化を促進した」とする評価もできるでしょう。

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# by wagahai_tt | 2012-10-31 06:10 | 切手 | Comments(0)