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イタイプー水力発電所 イタイプー水力発電所の切手です。 1983年にイタイプー水力発電所の完成を記念して発行されたCr$140.00の切手です。イタイプー水力発電所は、ブラジルとパラグアイの国境を流れるパラナ川に、高さ185mで幅14kmのダムを作り、1975年着工し、1984年に運転開始した世界一の規模を誇る水力発電所で、ブラジルと隣国パラグアイとの共同プロジェクトです。 現在18基の発電機を備えて、12,600メガワットをフル発電しているようです。発電機一基あたりの発電量は、70万リットル/秒の水を使い、700メガワットの発電で、約150万人の町の電力を賄うことができます。 パラグアイ国側にある放水路からの放水は凄まじいものですが、最近ではダム湖の水位が下がり殆ど放水を見ることが出来なくなっています。この発電所は、ブラジルの25%の電力とパラグアイの95%以上の電力を供給しています。 # by wagahai_tt | 2012-01-05 05:18 | 切手 | Trackback | Comments(1)
絆
昨年はありがとうございました。 本年もよろしくお願い致します。 2012年 元旦 ![]() 写真左はスペイン人夫妻 中央日本人 右端はアメリカ人 # by wagahai_tt | 2012-01-01 06:27 | Trackback | Comments(0)
Asfloraの活動報告を紹介します。 エコ・クリスマス 2011年12月18日 ASFLORA(アマゾン森林友の協会)は、先週に引き続きクリスマス行事を行いました。 12月18日(日)、ベレン市から55㎞の距離にあるサンタ・バルバラ郡エスペジット・リベイロ入植地で、「水源の森つくり」植樹祭を行い、クリスマスを祝いました。 今回の催し、同地の環境農業入植者協会とAsfloraが準備し、真珠のミキモト様(EFF/緑の募金助成プロジェクト)、イオン環境財団様、宮本(藍工業)様、Schincariol社様の助成を得ています。 午前9時半、入植地の公民館のある広場で、エスペジット・リベイロと近くのアブレウ・ベルメーリョ入植地の子供たち200人が集まり、木登りゲームを始めました。つるつる丸太柱の天辺に吊るされた、お菓子の入った袋を取る遊びです。一人、一人が挑戦しても、みんな滑って登れませんでした。それで、助け合いながら人の梯子をつないで登ってゆくと、お菓子が仕留められました。 ![]() 30分ほど遊んで疲れたところで、1回目のランチタイム、ハムとチーズ入りのサンドイッチです。 ![]() ![]() ランチタイム後、クリスマス行事開催者、協力者の挨拶と植樹指導が行われました。 地元サンタ・バルバラ市セルソ副市長、州農業指導部(EMATER)サンタ・バルバラ支所イアーレ所長、州環境局環境教育部ダニエーラさん、入植者協会ミランダ会長などが挨拶しました。 また、日本から、この入植地への支援活動をしてくれている NPO地球と未来の環境基金-EFF 古瀬繁範 理事長が特別参加してくれています。 式典を終えて300m離れた植樹地に移動、「水源の森つくり」植樹の開始です。 ![]() まだ雨が少なく乾燥しているので、今回の植樹祭では千本の苗木のみ植えました。地拵えは、水源地を囲んで0.4ヘクタール出来上がっています。 合計で9千本(イオン環境財団助成分5千本、緑の募金・ミキモト・EFF助成分4千本)の苗木を植えることにしています。 ![]() ![]() 植樹中、隣の「群馬の森」を訪れていた沼田総領事が、北伯群馬県人会長の岡島さん、平形さん、京大研究員石丸さん、大学院生田村さんと共に到着しました。 右上写真の紺のシャツ姿が、子供とアサイ苗を植えている沼田総領事です。 ![]() ![]() 植樹後、Asfloraのエーデル理事の掛け声で、全員が輪になって「クリスマス、おめでとうとう!」と、三唱しました。 ![]() ![]() 左上)EFFの古瀬氏の後方が、地拵えの済んだ水源の森つくり予定地です。 右上)昨年のクリスマス植樹祭で植えた一画です。 ![]() 植樹後、公民館(上の木造バラック)で、飲み物と軽食が配られました。 サンタが現れ、プレゼントを子供たちに手渡しました。サンタさん、暑い最中にこの装束ですし、大勢の子達を相手に、最後はフラフラになってしまいました。 本年も、多くの方々のご協力によりAsfloraの活動が継続できました。心からお礼申し上げます。 日本の大震災後、大勢の市民によるボランティアの方々の活躍が報じられています。 私どもも、地球市民の一員として、環境教育、森つくり、持続可能な家族農業者支援活動に、新しい年もみんなで力を合わせていきたいと思います。 良いお年をお迎えください。 2011年12月23日 ASFLORA代表 佐藤卓司 副会長 山中正二 他役員一同 # by wagahai_tt | 2011-12-27 11:34 | Asflora | Trackback | Comments(0)
南極観測 ブラジルの南極観測に関する切手です。 ブラジルは1975年に南極条約に加盟して、1983年にはコマンダンテ・フェラス基地を建設して本格参入した。1986年に発行されたCZ$0.50の切手です。 *南極条約:南極における調査研究に協力体制を築いていた日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦(現ロシア)、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカの12か国が1959年12月1日に南極条約を採択した。 条約内容 1.南極地域の平和的利用(軍事的利用の禁止) 2.科学的調査の自由と国際協力 3.南極地域における領土主権、請求権の凍結 4.核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止 5.条約の遵守を確保するための監視員の設置 6.南極地域に関する共通の利害関係のある事項についての協議の実施 7.条約の原則および目的を促進するための措置を立案する会合の開催 条約締結国は、2011年12月15日時点で49か国です。 1987年には南極観測活動のCz$1.00の切手が発行されました。 # by wagahai_tt | 2011-12-25 05:50 | 切手 | Trackback | Comments(0)
Asfloraの活動報告を紹介します。 エコ・クリスマス 2011年12月10日 Asflora(アマゾン森林友の協会)では恒例になった、クリスマス行事を始めました。 12月10日(土)、Asfloraメンバー9名とアライアル・ド・パブラージェン(以下、アライアルと略)のグループ20名は、州環境局が提供してくれた小型バスに乗り、ベレンからバスで2時間半かけて、イガラッペ・アスー郡(市)サント・アントニオ・ド・プラッタ村に出向きました。 地元のジナイール母の会とパラ総合大学のマリレーレ先生が企画した、エコ・クリスマス行事への参加です。 午前10時に、村の広場にある公民館に到着しました。子供とその家族300人位が我々の到着を、首を長くして待っていました。早速、アライアルのグループが、太鼓、マンドリンなどの楽器を鳴らし始めました。時を置かず、子供たちはダンサ・ド・ボイ(牛踊り)を始めました。前にもこのアライアルのグループと踊っていた様子です。 ![]() ![]() 踊りながら、村の中を歩き、Asfloraが寄付した苗木150本の植樹現場に向かいます。 植樹は、村を横切る河の近くの道路沿いに行いました。 ![]() ![]() この村は、昔ハンセン氏病院があり、長い間外部と隔離された部落でした。 今も古いしっかりした建物が残っています。 ![]() 私と同年64歳のマリア・ペレイラさんは、孫たちと一緒でした。彼女はもう8人も孫が居るそうです。聞いてみると、一家はアマゾン中流域のオリシミナに住んでいたそうです。しかし父親(6年前に亡くなる)がハンセン氏病であることが分かり、50年前にベレンの病院に来て、ここプラッタ村の隔離病院に送られ、一家もここへ移り住むことになったそうです。 左写真)中央で孫と一緒に居るのがマリア・ペレイラさん。父親以外には、家族の誰もハンセン氏病にはかからなかったそうです。二人の子供がこの村に住み、孫は8人居ます。同い年の筆者(右)は、孫なし、羨ましいです。植樹後、集会所に戻り、Asflora森の劇を披露しました。今回は、森の劇の中で、水源を汚さず、水源林を大切にすることを特に呼びかけました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 森の劇後、スライドを用いた川を綺麗にするための環境教育がありました。参加者は、8日後(12月18日)に、クリスマスプレゼントを受け取れるチケットを貰いました。 私たちも、プラッタ村の子供たちから、笑顔のプレゼントをたくさん貰ってきました。 ![]() ![]() Feliz Natal!! Asflora=Instituto Amigos da Floresta Amazônica (文)佐藤卓司 # by wagahai_tt | 2011-12-23 07:25 | Asflora | Trackback | Comments(0)
奴隷解放 ブラジルは1888年に奴隷制度を廃止しました。 1984年に発行された奴隷解放の切手です。 ![]() ![]() ブラジルは1530年の植民開始から、砂糖植民地としてポルトガル帝国の重要な一翼を担うようになった。ブラジル中東部、バイア州やペルナンブコ州で発展した砂糖生産は18世紀に衰退してきたが、反面ミナス・ジェライス州での金鉱山が発展した。砂糖は19世紀初めに、南部のリオデジャナイロとサンパウロで生産が拡大した。しかし、1830年以降、ブラジル南部でコーヒー生産が主体になり、この地域が18世紀末にはブラジルの全奴隷輸入の40%、1820年代には60%、1840年代には80%にも達した。 ブラジルでは、1830年に奴隷貿易が公式には認められなくなったが、1850年まで、コーヒー生産のために公然と奴隷貿易が行われていた。 1850年、イギリスはブラジルに奴隷輸入の禁止を求めて、艦隊を派遣し、戦争が始まり、ブラジルは敗北した結果、サントスやリオデジャネイロには北部の砂糖産地や南部の牛肉・皮革産地からの奴隷が移入して来るようになった。1865年に合衆国で奴隷制が廃止されたときには、主な奴隷保有国としては、ブラジルとキューバが残るだけとなった。 1871年に、ブラジルで奴隷解放のための法律が制定され、新しく生まれた子供は奴隷とされなくなった。その後1888年にブラジルの奴隷解放が実現したのです。 1500年にブラジルが発見されてから388年間奴隷制度が続いた事になります。 # by wagahai_tt | 2011-12-15 04:53 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-3 世界遺産 1985年に発行されたユネスコ世界遺産に登録された場所の切手を紹介します。 Ouro Preto ミナス・ジェライス州にある世界遺産Ouro Preto(オーロ・プレット)の切手です。オーロプレット(ポルトガル語で黒い金)は、1711年に金が発見されてから 18世紀の約100年の間に世界の金の半分以上を産出した町です。オーロプレットのあるミナス・ジェライス州では 1200トンの金と300万カラットのダイヤモンドを産出したようです。 世界の金の80%以上がオーロプレットから産出された金になった時もあるそうです。 O linda ペルナンブコ州にある世界遺産O linda(オ・リンダ)の切手です。最初に、オリンダに到達したとされるヨーロッパ人は、フランスの商人だとされるが、後に、フランスのライバルであるポルトガルが1537年に、都市の建設を開始した。 砂糖産業を中心にオリンダは繁栄したが、レシフェ(州都)を建設したオランダによって、一旦は破壊された。 1654年ごろ、ポルトガルの手により、再度、オランダからオリンダが奪取されると、オリンダの町は、ポルトガル風の建築物が建設されるようになり、蘇ったようです。 Sao Miguel das Missoes リオ・グランデ・ド・スル州の内陸にある世界遺産Sao Miguel das Missoesの切手です。サン・ミゲル・ダス・ミソンイス (São Miguel das Missões) は、ブラジルのリオ・グランデ・ド・スル州北西部の小さな町サン・ミゲル・ダス・ミソンイス市にあるイエズス会伝道所跡です。1983年に「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されました。 イエズス会は、土着民のグアラニー族がキリスト教化することや、彼らをスペインやポルトガルの奴隷商人たちから保護する目的で、1735年から1745年にこの場所に伝道所を建設したものです。 # by wagahai_tt | 2011-12-05 03:18 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-2
カラジャス鉄道 カラジャス鉄道の切手です。 カラジャス鉄道は、パラ州にある巨大な露天掘りのカラジャス鉱山から掘り出した鉄鉱石を、892km離れたマラニョン州サン・ルイスの積出港まで運ぶために1985年に敷設された鉄道で、長距離輸送を効率的に行うために考案されたのが、車両を極限にまで連結する手法で、機関車2両で180両の貨車を連結した長大なものです。積荷を降ろした空の貨車を鉱山に戻す列車は、機関車2両+貨車180両を2つ繋いで戻すので、機関車4両+貨車360両で1両の長さが10mとしたら単純計算でも約3.6km以上の車列になります。 全区間がコンピューターで制御されており、24時間運行しています。貨物を積載した列車は最高速度75km/h、客車や空載の列車は最高速度80km/hで走っています。 このカラジャス大計画を記念して1985年に発行されたCr$500の切手です。 # by wagahai_tt | 2011-11-25 03:48 | 切手 | Trackback | Comments(0)
現在手元にあるブラジルの切手の一部をそれぞれ紹介します。
ブラジルの切手紹介-1 Dom.Pedro国王 ペドロ国王の切手です。 1798年10月12日、 Dom.Pedro(ペドロ) はポルトガル王Dom,Joao(ジョアン)の第4子(次男)としてリスボンに生まれ、長男が早く亡くなったので、実質的な王位継承者であった。1808年、 ナポレオン軍のリスボン侵攻 を前に、祖母である女王マリア1世や両親とともにブラジルのリオ・デ・ジャネイロに逃れた。 Dom,Pedroは1822年にリオ・デ・ジャネイロを都としたブラジル王国 を建国し、1831年にポルトガルから独立した後、Dom,Pedro国王は1834年に死去した。 国王の没後150年目に当たる1984年に発行されたCr$1,000.00の切手です。 # by wagahai_tt | 2011-11-15 04:07 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(125) ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 192. サンタレン散策 アマゾンの熱帯雨林や我々が手掛けている植林地と植林木の撮影を依頼して日本から招待した友人のプロカメラマンを案内して、パラ州サンタレンを散策した。 ![]() ![]() ![]() ![]() この時は子会社アナニ船舶(有)が所有する船を、1週間前にマラジョー島にあるブレベス支店を出航させ、我々は当日の朝1時間のフライトでサンタレンに入り、サンタレンの漁港から待機していた自社船に乗ってアマゾン河本流周辺を散策した。 ![]() ![]() 本流を流れる茶色の水と支流から流れ込んだ水が温度と比重の差で混ざり合う事も無く20km程並行して流れている自然現象を観察した後、雨季には水没する島に上陸して砂浜を散策した。 ![]() ![]() ![]() ![]() この時、無免許だが初めて船を操舵してみたが、慣れていない為か下手くそなのか、船が目的地に向って真直ぐに進まない。 舵の切り返しの程度が分かっていないので、舵を回し過ぎになるのが原因だ。 ![]() ![]() 食事は船員達が作ってくれたブラジル料理を、簡単な食卓テーブルに座って、航行しながら食べたが、美味かった。 ヘッジ(ハンモック)に横になりながらビールやカイピリーニャを片手にノンビリした船遊びは、日頃の煩雑さを忘れさせてくれます。 乾季の間だけ出現する島を散策後、船を砂浜に係留してヘッジで一泊することにした。 ![]() ![]() アマゾン河の水平線に沈み行く夕日の撮影や翌朝の日の出の撮影をしながら二日間ゆっくり、しかも楽しく過ごした。 # by wagahai_tt | 2011-11-05 06:31 | 印象深い事柄 | Trackback | Comments(0)
ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(124) ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 191. 一般的な出産方法 ブラジルでの一般的な出産は帝王切開 によるものが多く、自然分娩は少ないようです。 帝王切開による出産は、入院期間も短く出産スケジュールも事前に決められるので、妊婦にとっても出産予定が確定し、入院費用も節約できる利点があるようだ。 尚、帝王切開による出産でも、出産後2日程度で退院し自宅療養となるようです。 妊婦以上に産婦人科医にとっては、各患者の出産がスケジュール化できるので、利点が大きいようだ。その上手術費用も請求できるので収入も多くなる。 帝王切開は女性の陰毛の生え際を横に切開するようです。 ビキニの水着着用例 ![]() ![]() Tバックの水着着用例 ![]() ![]() この手術方法は出産後でも女性がビキニの水着やフィオデンタル(Fio-dental=糸楊枝)=Tバックの水着を着てプールや海に行くのが主な理由だそうです。 # by wagahai_tt | 2011-10-23 03:16 | 印象深い事柄 | Trackback | Comments(0)
ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(123) ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 190. パリカ植林と農作物 広葉樹の植林は苗木の活着も悪く困難だと言われていましたが、今回広葉樹パリカ (Schizolobium amazonicum:マメ科)を中心に植林を行なった。 ![]() ![]() 植林はポットで苗木を育てて、それを植林地に植樹する。 ![]() ![]() 植樹した樹根に樹皮や大鋸屑に豚の糞尿を混ぜて発酵させたバーク堆肥を施肥する事で、板根が出るのを抑制しながら成長促進を図っていた。 ![]() ![]() それ以外にも、植林木の樹間に農作物(米・トーモロコシ・大豆・マンジョカ等々)を植えて、農作物に化学肥料(NPK=18:18:18)は40kg/ha位を2回施すようにした。 農作物を狙って野鳥がたくさん飛来し、米は3割程度食べられたようだが、植林木に対する害虫の被害が全く見られなかったことを考えると、この野鳥達が害虫も食べてくれていたのであろう、想定外の事でした。 ![]() ![]() アホース(米)は雨季の真最中の1~4月に植え付けて4ヶ月間で収穫できる。しかし、植林木が2年経過で成育が良くなると、樹間には日陰が増えて米の実が付かなくなるので植林後の一年間だけの収穫になる。米の後ではフェジョン(大豆)を播きつける。フェジョンは種類が多く、ブラジル南部でよく植えられている市場性のあるものを、雨期が続いている4、5月に播くと、ツタが発達して植林木にからみつき易くなる。フェジョンも4ヶ月ほどで収穫できる。 苗木植栽後2年間、この混農方式をとると、木の生育が良くなり、雑草のキクユは日陰が出来るために勢いが衰えてゆき、除草剤を使うよりも安上がりの上に効果が確実であった。 2年後、穀類を植えたところと植えなかったところは雑草の成長にも、木の成長にも差が出ていた。 ![]() ![]() 穀類の収穫量は米で100~150kg/ha、マメは150~200kg/ha(初年度)であるが、その値段は安く、人件費を賄う程度なので、1,200人の全従業員に年1回収穫物の無料配布を行なうことにした。 米、マメ、トーモロコシの他にマンジョカ(タロイモ)を試していた。マンジョカの場合は、8~12ヶ月間植えたままでいるので手間はかからない。マンジョカの成長のために木の根と競合するかと思われたが、今までのところ全く問題なく、植樹間を裸地にしておくよりも良い結果が見られた。 ![]() ![]() その後は植林木の根本にピメンタ(胡椒)を植付けて収穫を楽しみにしていた。 当初は農作物に地中の栄養分を取られて植林木の成長に悪影響があるのではないかと心配したが、結果としては木の成長にプラスの効果があった。 # by wagahai_tt | 2011-10-05 03:54 | 印象深い事柄 | Trackback | Comments(0)
http://www.asflora.org 8月度のAsflora活動報告を紹介します。 パラーブラ・ダ・ビーダ校生徒の来訪 2011年8月12日 Asflora-アマゾン森林友の協会-では、8月12日(金)午前中に、地元ベネビーデス市私立学校パラーブラ・ダ・ビーダ校の生徒、職員50名を招いて、恒例の環境教育プログラムを、Asflraが本拠地としているAimex種苗センターで行いました。 この日は、公害撲滅の記念日でした。参加した学校は、EFF(NPO地球と未来の環境基金)、緑の募金、三菱商事のご支援を受けた「学校の森つくり」プロジェクトのパートナーです。 この環境プログラムは、日本からのご支援に加え、AIMEX(パラ州輸出木材工業協会)、 SCHINCARIOL社からの応援を頂きました。 ![]() Asflora理事のマルルッシは、とてもしっかり者。今回も講師となって、環境教育講座を取り仕切りました。教員も生徒と共に、Asflora環境十戒をしっかりと頭に入れ、生徒が、復習する手助けをしてくれました。 講義の次は、Aimex種苗センターで扱う林木種子が、販売される以前に、どう保存し、発芽力を調べる検査が行われているかを見学しました。 ![]() ![]() 種子の検査室(ラボラトリオ)を出てから、良い苗木をつくるためのプロセスを見学します。 ![]() ![]() でも、子供たちの注意は、森の小道に入ることに引かれてしまいます。 そして、クルピーラ(森の守り)の登場となり、クルピーラの住む森へ案内されます。 ![]() ![]() ![]() 森に入ると、マァイ・ダ・ナトレーザ(自然の母)が、子供たちを出迎えます。彼女は、子供たちに、自然を守り、身の周りの環境を良くしていくことを、一人一人に求められていることを優しく話しかけます。 少し歩くと、大きな声でのやり取りが聞こえてきました。老木が樵と遣り合っているところでした。樵は、細い木を切ろうとしていたのです。クルピーラと自然の母が、子供たちと共に樵を制します。木を切るなら、森が持続してゆくように仕事(施業)することが、樵の利益にもなることを教えます。樵も最初はいきりたっていましたが、教えられたこと(Manejo Florsetal=森林の持続可能な施業)に納得します。そして、熟成した木(老木)は、子供たちの傍で、窓枠、机、扉などになって、長く大切に扱われる第2の人生を送れるよう、樵に伐採を託します。 ![]() ![]() 更に森を進むと、アララ(オウム)小母さんが待っていました。 クルミース(インジオの言葉で子供たち)に、彼女(鳥)たちが森つくりをしていること、自然界の動物相の中での役割などを語ってくれます。それで、人にパチンコや鉄砲で撃たれたり、鳥籠に入れられてしまうと、森の中での役割が果たせなくなるので、みんなに理解を求めました。 ![]() アララ小母さんから別れると、今度は酔っ払いが小川の傍で寝ているのに出会います。周りはゴミだらけです。みんなでゴミ拾いをし、それからこの酔っ払いを改心させました。 ![]() ![]() 次は、みんなで落ちている木の種を拾って、大きな苗ポットに植えます。それが芽生えて、木の赤ちゃんと対面できました。小さな種から苗に育て、それを植えて大きな木にすることができることを、みんなが感じとりました。 ![]() ![]() 左下は、伝説のマチンタ小母さんに会ったところです。彼女は、自分の持つ薬草の素晴らしさを伝え、森の中は、世俗の悪い習慣の無い、自由があると話していました。 森の小道で最後に会ったのは、インジオの祈祷師でした。右下では、その祈祷師から、この森を歩いて学んだ自然の大切さを、周囲の人々に伝えてゆくようにと言いつかりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ランチタイムです ↓ ![]() ![]() パラーブラ・ダ・ビーダ校の生徒たちは、Asfloraと「学校の森つくり」(5年前と今年植樹)に取り組み、授業にも自然環境教育が取り入れられています。生徒たちは、自分の言葉で、環境問題についてしっかりした意見が言え、とても感心させられました。 Instituto Amigos da Floresta Amazônica-ASFLORA アマゾン森林友の協会. # by wagahai_tt | 2011-09-05 05:29 | Asflora | Trackback
7月度Asfloraの活動報告を紹介します。 2011年7月30日 エスペジット・リベイロ 入植地近況 Asfora(アマゾン森林友の協会)は、EFF(NPO地球と未来の環境基金)、緑の募金、ミキモト社のご支援を得て3年前よりサンタ・バルバラ郡の開拓部落、エスペジット・リベイロ入植地でアグロフォーレスト(森林農業)の支援活動を行っています。また環境保全のために、前記団体の他に、イオン環境財団のご支援も得て、宮脇方式による森つくりを行っています。今回は、その入植地の近況をお伝えします。 7月30日(土)に、同入植地農民協会の役員改選があり、現職のミランダ会長が再選され、更に2年間を務めることになりました。ミランダ会長、このインバゾン(侵入)由来のこの入植地で、土地権利の獲得、入植者の組織化と環境配慮型の農業導入に努めてきました。経済的なゆとりが全く無くても、熱心に全体のために自分の時間を犠牲に働いてきたことで、彼に好意を寄せない一部の人たちも、対立者を擁して再選に反対することはなく、すんなり再選されました。 ![]() 上の写真は、7月25日(月)に、ミランダ会長(白Tシャツ)がこの2年間の活動総括を行い、次期役員を招集しているところです。Asfloraとの提携が呼び水となって、この入植地が、各種支援を得られるようになっていると感謝されました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 役員改選が終わると、みんなが協力してお膳立てした食事会、会議より盛り上がります。上左写真、子供の中に混じっているオジサンは、私のクラスメート、福井幹雄です。JICAシニアボランティアとしてパラグアイに赴任中、今回、初めて訪ねてきてくれました。 入植地内を少し紹介します。 ![]() ![]() ![]() 左上写真は、SEBRAE(起業支援機構)、市役所、EMATER(州農業指導公社)、ブラジル銀行支援による地鶏と蔬菜栽培を組んだ農地です。この開拓地には、他にも1か所導入されました。 右上がこの耕地の主、アルフレッド。手にしているのは野生種のパッション・フルーツです。彼は明るく剽軽者、入植者協会の副会長として、入植者53家族の良きまとめ役です。 この入植地は、森林地帯に6年前に土地を求めるグループが勝手に他人の土地に侵入してできた「インバゾン」の一つです。 Asfloraでは、隣接する貴重な自然林を保全している「アマゾン群馬の森(現在、アマゾン日伯友好の森)」への影響が及ばないことを願うと共に、入植者たちが、森を維持しながら、持続可能な営農ができるようなお手伝いをしたいと思っています。 ![]() ![]() この水源地帯には、他に3か所植樹しました。更に、この水源を守るため、今年末に9千本の植樹を予定しています。 このため、Asfloraのスタッフ、マルルッシアとカミーロと共にこの水源周辺耕地を見て回っています。 ![]() ![]() 水が湧き出ている場所には、入植者のローザ・ブリットが洗濯をしていました(前欄左上写真)。 彼女は一人住まいですが、コーヒーまで自給体制を取る働き者です。水源林が薄くなってきたことは、彼女も心配していて、植樹祭には積極的に参加しています。 一緒に水源地の回りを歩き、前欄右上写真の場所にも、森つくりをするように提案してくれました。 ![]() ![]() 入植地の幹線道路(上左右)が市役所によって開かれましたが、ご覧のように、水源地を横切り、むき出しになった土(砂地)は、雨が降れば谷間の小川に押し出されてしまいます。谷間の途中に、土止めはあるものの不十分なので、更に土止めを行い、各種の樹木苗を植えるようにします。 ![]() ![]() 水源地帯の森に、女手一人で開拓に挑むダルシレイア(右上写真、左)は、この森の大切さをよく理解しています。まだ殆ど手つかずの10ヘクタールの自分の耕地は、必要最小限の伐採に留めると言います。 裁縫の仕事をしつつ、今後、女性軍による共同蔬菜つくりに参加するそうです。下の写真は、彼女の耕地内の自然林です。 ![]() ![]() 右上の写真中、太い幹が見えるのは、Vochysia属の木です。樹皮を煎じると、気管支炎に効くとされます。最近、薬草利用の講習会も行いましたので、森の中でいろいろ薬草原料を見つけることができます。また、薬草栽培では、わずかな栽培面積でも、やり方によって良い収入を得ることもできます。森を活かした耕地で、女手一人でも生活ができる方法を一緒に考えてゆきたいと思いました。 文中敬称を略させていただきました。 ASFLORA-アマゾン森林友の協会 代表 佐藤卓司 # by wagahai_tt | 2011-08-05 04:40 | Asflora | Trackback
Asfloraの6月度活動報告を紹介します。 エスペジット・リベイロ入植農民のマリツーバ農協とAimex種苗センター訪問研修 6月17日(金)、ASFLORA(アマゾン森林友の協会)では、エスペジット・リベイロ入植地と隣接のブレウ・ベルメーリョ入植地の農民23名を対象に、隣郡マリツーバとベネビーデスでの蔬菜作りを主とした研修を行いました。この研修は、サンタ・バルバラ市 EMATER(州農業指導公社)の協力を得て、同公社の技師アントニオ・ブラガが付き添い、Asfloraからはマルルッシ・アモリンが参加しています。 マリツーバ郡(市)のアルミール・ガブリエル部落にあるCOOPSANTという農業協同組合を訪問しました。ここでは、有機農業、水耕栽培などによる蔬菜作りと薬用植物栽培を見せてもらいました。次いで、近くのベラ・ビスタ部落での魚の養殖と園芸植物栽培も見学し、Asfloraが本拠地としているベネビーデス市Aimex(パラ州輸出木材工業協会)種苗センターに行き、林木や果樹の苗木作りの研修をしてきました。 ![]() ![]() COOPSAT農協集会所(上写真)で同農協がBASA(アマゾニア銀行)からの農村振興支援プロジェクトを受けた経緯、その実情などの説明を経て、レタスの水耕栽培(下写真)を同農協組合員エジルソン(右下写真、右側のオレンジ色シャツ姿)が案内してくれました。 ![]() 水耕栽培では、循環させる溶液施設が重要ですが、これまでの経験からその改善策についても教えを受けました。下写真のタンクは深く設置し過ぎたそうで、溶液がこぼれ出さないようにいつも注意が必要ということでした。 ![]() ![]() 上の問題を改善するために、新たなタンクを設置する予定地で説明を受けました。 ![]() 次いで、蔬菜の播種と育苗について現場での説明を受けました。まず初めは、播種床となる資材の準備で、大きな塊を丁寧に除いてゆくことから学びました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 左上写真は、選別した用土を育苗容器に入れているところです。上右写真は、新たに設置中の水耕栽培用ビニールハウス(上右写真)を、エジルソンが見せてくれているところです。 組合員のジュデウは、薬草栽培と有機質肥料を生産しており、その説明(下写真)を受けました。 ![]() ![]() 組合員アルマンドの農場では、娘のアドリエレが観葉植物を栽培しているところを案内してくれました。 ![]() ![]() ![]() COOPSANT農協の見学を終えて、近くのベラ・ビスタ部落を訪ね、エミリア農場を訪ねました。ここでは、観葉植物栽培に加えて、魚の養殖を大きくやっていました。 ![]() ここには二つの養殖池(タンク)があり、良い利益を上げているようでした。魚だけでなく、アヒルと地鶏の飼育でも儲けが出ています。 ![]() ![]() 今回のエスペジット・リベイロ入植地農民の近隣農業視察研修では、最後にベネビーデス市のAIMEX種苗センターに寄りました。同種苗センター責任者でAsflora理事のエルトン・マイアが一行を待ち受けて、ここでの樹木や果樹の育苗について説明し、苗圃へ案内してくれました。 ![]() 訪問者たちは、必要な苗を自分たちで生産しようという気持ちが強くあります。必要に応じての種子休眠打破処理、消毒方法、育苗期間などについて、質疑に熱が入っていました。 ![]() ![]() ![]() 今回の研修に参加してくれた、エスペジット・リベイロ入植地とブレウ・ベルメーリャ入植地の参加者、この研修へ賛同し協力を惜しまなかった、EMATER(州農業指導公社)、COOPSANT農協、ベラ・ビスタ部落(コミュニティ)、AIMEX種苗センター、そしてAsfloraが行う開拓部落へのアグロフォーレスト支援プロジェクトへ助成を継続して頂いている緑の募金(国土緑化推進機構)、ミキモト社、EFF(NPO地球と未来の環境基金)に感謝を捧げます。 文中敬称を略させていただきました。 Asflora(アマゾン森林友の協会) INSTITUTO AMIGOS DA FLORESTA AMAZÔNICA-ASFLORA Asflora役員一同 DIRETORIA-ASFLORA # by wagahai_tt | 2011-07-07 03:53 | Asflora | Trackback
ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 189. 森林の活性化 2000年3月初めより6月末までの4ヶ月間、過激な環境団体で知られるグリンピースが「Amazon Guardian」と命名した船をアマゾン河に派遣した。 この船は全長58m、乗組員31名で、水上飛行機、補助艇とスピードボート6艘を備えており、世界各地へ情報を発信することができる機能を備えていた。 その船内のキャビンには、彼等が伐採禁止樹種として運動の旗頭に挙げていたマホガニィー材をふんだんに使った快適な居住環境を備えていた。 (マホガニィー材はこのような色合いの材です) ![]() ![]() (一輪挿し) (将棋盤) この船を使ってグリンピースは、先進各国がアマゾン熱帯雨林保護に力を入れるよう、2000年の沖縄サミットで揺さぶりをかけることを目的としてアマゾン森林保護キャンペーンを行っていた。 自然林でも1本の成木を択伐する事により、大木の下で成長のチャンスを虎視眈々と窺がっている100本の幼木の成長促進となり、森林の活性化は促進され、 CO2固定化も促進されることになる。 ![]() ![]() 水辺の住民の中には木材の伐採に携わって生活している人達もいる。 熱帯雨林の伐採禁止を旗印に活動しているグリンピースも、自らの行動を世界にアピールする為だけの活動ではなく、アマゾン自然林保護に関する本質や住民達の生活権確保に関しても見失わないでほしいものだ。 # by wagahai_tt | 2011-06-05 04:36 | 印象深い事柄 | Trackback
ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 188. 水辺の住民 パラ州ベレンのアマゾン河支流の中にある細い小川に面した所に、高床式の民家が点在している。 ![]() ![]() 勿論アマゾンの支流の中だから電気はなく、ランプの生活だから日出で起きて日没で寝るのが日常だろう。 何故かこの様な民家の近くに、グアショと呼ばれる鳥の巣がある。 小枝に幾つもの袋をぶら提げたような巣を作っている。 この巣の形は、蛇や猿などの天敵から子孫を守る工夫なのであろう、自然界の知恵を垣間見たような気がする。 ![]() ![]() 生活用水は川の水で、調理用の水は川の中程からバケツで汲み上げた茶色の水で砂を沈殿させた上澄みを使い、洗濯や入浴は川の中で、トイレは家の下の川の中に直接落とすことになるのだろう、その上落としたものは魚の餌になる。 その魚を獲って食べてまた落とす、自然循環型であろうと思われる。 交通手段はカヌーで、川の中程まで桟橋を作りカヌーを係留している。 乾季と雨季の水位の差や大西洋の干潮や満潮の影響による水位の差に対応できるように桟橋は造ってある。 近所付き合いや買い物・お出かけ・通院・子供の通学など等、全てこのカヌーの出番となる。 学校も川縁にあったり、島の高台にあったりするが、いずれも雨季の増水で被害に遭わない場所に造ってある。 ![]() ![]() 彼等は自然の中でノンビリと生活しているように見えるが、果たしてどうだろう? 成長した子供達は町に出て働いているので、比較的老人や小さな子供達が中心に住んでいるようで、ここにも過疎化現象があるのでしょう。 彼らの生活手段は、自然の中からアマゾンの恵みを採取する生活が基本になっている。 # by wagahai_tt | 2011-05-29 05:59 | 印象深い事柄 | Trackback
ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 187. アマゾンの荒廃地で植林 アマゾンの土壌はラテライトと言われる粘土質の赤土で、鉄やアルミニウムが多く残留しているので、植物にとって決して肥沃な土壌ではない。 ![]() ![]() 熱帯雨林の肥沃な土壌は、表層土1m程度なので、熱帯の樹木は板根という特殊な板状の根を作っている。これは薄い表層土の上で自身を支えるための手段です。 ![]() ![]() アマゾンの熱帯雨林を開墾して牧場を造成し、農場を造成するが、肥沃な土地も10年使えば、牧草も栄養が無くなり、牛が育たなくなる。農業も同様に作物が育たなくなる。 ![]() ![]() 地力を失い作物が育たなくなった牧場跡地や農業跡地は、堆肥を施肥しながら地力を維持するのが普通だが、これには継続的な管理が必要で、しかもかなりの経費がかかる。そこで今迄の土地を捨て、安易に地力のある森林を皆伐して開墾し、牧場や農場を求めて奥地に広げて行く。 放置された土地は益々荒れて荒廃地となる。 この繰り返しが荒廃地の拡大となり、森林破壊に繋がっている。 ![]() ![]() 今ではアマゾン河口のパラ州に1,600万haの荒廃地があるとも言われている。 アマゾンの荒廃地(牧場・農業跡地)に成長の早い広葉樹パリカ (Schizolobium amazonicum:マメ科)の植林や宮脇植林を行った。 ![]() ![]() 破壊が進む熱帯雨林の一助になればと期待している。 # by wagahai_tt | 2011-05-22 03:31 | 印象深い事柄 | Trackback
ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。 186. ガハホン・ド・ノルティ植林地 パラ州の内陸ガハホン・ド・ノルティ群で植林地を運営していた。 毎年300~400ha前後の荒廃した農地を開墾し、ブルドザーで整地した荒廃地をトラクターで耕したあと植林するので、植林でありながら農業そのものの様相を呈していた。 ![]() ![]() この植林地は元々一区画25haの面積で州政府が分譲した農地であったが、休耕地として放置されていたので、潅木林の荒廃地となった場所を地主から買取り植林していた。 ![]() ![]() 開墾後に、敷地内で近くの製材所から集めたセハージン(大鋸屑)に飼育していた豚400頭の糞尿を混ぜた上で、一ヶ月以上放置しながら発酵させて作ったバーク堆肥を、植林予定地に撒いて準備を整える。 ![]() ![]() 堆肥や整地用の砂を植林地に撒く為に数台のトラックを使用して、植え付け前や植付け後の植林地メンテナンスを行っていた。 ![]() ![]() 植林樹種は広葉樹パリカ (Schizolobium amazonicum:マメ科)が中心だが、モギノ(マホガニー)やテッカ(チーク)やその他20種類程度の樹種を植えつけている。 成長の早いパリカの周囲に成長の遅いモギノやテッカを植林したり、モギノやテッカの純林を作りテストを兼ねた植林をしていた。 ![]() ![]() 植林地内の一角ではポットの中で発芽させ、苗木を育てて植栽地へ運び、アルバイトの近隣住民を含めて全員で植え始める。 新植地は遥か彼方まで、見事に4mx4mの間隔で一直線に植えられている。 ![]() ![]() 熱帯アマゾンのパリカ植林は、成長も早く植付け後6ヶ月で目を見張る成長をし、5年も経過すると立派な林になる。 植林区域と隣の植林区域の間には6m幅以上の防火帯道路を設けて、出火しても隣に延焼しない対策と、植林地内を車で巡回時に走る巡回路としていた。植林地内でも現地の案内がないと道に迷って帰れなくなるような、総面積約2,000haの植林地です。 ![]() ![]() 植林地内には従業員が家族帯同で住む事ができる宿舎や責任者が滞在する立派な宿舎を備えていた。 ![]() ![]() そんな植林地に、ある日パラ州のアルミー・ガブリエル知事から植林地視察希望の連絡が入った。 早速現地で歓迎準備に取り掛かり、知事の側近・警備要員・マスコミなど総勢80名程の訪問に備えて、簡単な食事や飲み物やフルーツの準備や視察ルートの検討などを行い、当日は旗を掲げて歓迎ムードを盛り上げた。 ![]() ![]() 植林地の中には自然の小川や急勾配で、商業植林に適さない場所も多く、このような場所では宮脇植林を実施して自然の森の復活を図っている。 撮影時には2年経過していた宮脇植林も既に森の形になっている。 ![]() ![]() 更に、植林木の樹間にトーモロコシ・胡椒・米・豆・マンジョカ芋などの農作物を植えたところ植林木の成長が良く、樹木と農作物との競合で相乗効果が表れたようで、予想外に良好な結果が得られた。 ![]() ![]() 植林地構内で豚の糞尿を使った堆肥作りや森林回復を目的とした宮脇植林の実態を、アルミー知事は視察したかったようです。 視察後記念植樹を行い、満足して頂いたことと思う。 その後、植林地では木の成長と共に間伐作業も行い、間伐材の利用も積極的に行っていた。 ![]() ![]() ただ、この地域は田舎でもあり、住民の環境に対する意識は殆ど無く、子供達が植林地の枯れた木に面白がって火を点けたり、大人のタバコのポイ捨てであったりで、しばしば植林木を焼いていた。 この経験が2001年1月からのNGO.Asfloraの活動に繋がり、子供達への環境教育プログラムの実施の一因となった。 # by wagahai_tt | 2011-05-15 04:48 | 印象深い事柄 | Trackback
Asflora 4月度の活動報告を紹介します。 『地球村』の森つくり 2011年4月29日、Asflora(アマゾン森林友の協会)が本拠地にしているAimex種苗センター内にて、『地球村』の森つくり植樹祭を行いました。 この森つくりは、日本のNGOネットワーク『地球村』(本部大阪、代表 高木善之さん、統括部長 渡辺裕文さん) のご支援を得て実現しました。 植樹祭前日は、朝から雨だったので少し心配でしたが、当日午前中は、素晴らしい植樹日和でした。 参加者は、地元ベネビーデスのアルコ・イーリス(虹)校の3年生と4年生45名と教員2名、Asflora8名、作業員4名の59名です。植樹祭は、Asflora環境教育プログラムから始まりました。 ![]() ![]() ![]() 環境教育の開始。前の3人の生徒が水辺の木々になってもらい、後ろの生徒が雨水、そして講師のエルトン(Asflora理事、Aimex種苗センター責任者)が土砂になって、水源林の保全機能を実験をしています。 佐藤からは、今回の植樹の意義、人々の絆を大切にする「Vila do Globo(地球村)」の森つくりについての説明をしました。 ![]() 苗畑を経て、森の小道入口前に整列。 そして森に入ると、急に「ドエンディ*」が現れ、みんなビックリ。 (* 森の妖精、どんな姿にもなることができます) ![]() ![]() 森の中では、野生の花が目を楽しませてくれます。 ![]() ![]() ![]() 種を拾って、蒔きつけます。そしてみんなの波動を送ると、木の赤ちゃんが芽生えました。 森の劇の後は、植樹地に向かいます。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 来週中(5月6日まで)には、2000本+アルファの植つけが終わることでしょう。 ![]() ネットワーク『地球村』の皆様、ご支援ありがとうございました。 立派な土地本来の森になるよう管理してゆきますので、ぜひ見に来て下さい。 2011年4月30日 Asflora-アマゾン森林友の協会 佐藤卓司 # by wagahai_tt | 2011-05-08 05:38 | Asflora | Trackback
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