<   2014年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

マラカクエラ植林株式会社


ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(150)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

308.    マラカクエラ植林株式会社

ブラジルでは外国資本による農地取得が許可されていなかったので、国内資本の会社「マラカクエラ植林株式会社」を設立して、植林事業を行っていた。

各地に植林地を取得して、その植林地近辺のマネージメントや植林事業を主な業務としていた。

植林事業
子会社マラカクエラ植林会社で、農地や森林を取得して植林事業を実施していた。
自社植林地            面積
Portel (Para)      33,000 ha
Breves (Para)           3,000 ha
Anajas (Para)           6,500 ha
Viseu (Para)           5,000 ha
Igarape-Acu (Para)          240 ha
Parintins (Amazonas)       3,000 ha
Codajas (Amazonas)        4,300 ha
Jurua (Amazonas)        26,000 ha
Garrafao do Norte (Para)     2,000 ha
TOTAL              83,040 ha

1.ポルテル植林地
ポルテル植林地は33,000haと面積も広く自然林でビローラ樹種の樹下植林を行なっていた。植林地の巡回や捕植メンテナンスに必要な人材は、従業員数家族を奥地の植林地に送り込み植林地管理を行なっていた。

従業員を家族単位で送り込むために、子供達の教育に必要な学校を建設し、先生を1人送り込み対応していたので、近隣離島からも子供達がカヌーで学校に通っていた。

更に、カトリック信者の家族に必要な教会を建てて牧師の巡回をお願いしていたので、ミサの日には近隣離島からも島民がカヌーで参拝していた。

家族達が必要とする食糧や日用雑貨は、スーパーマーケットを建設して販売していた。
従業員家族が必要とする物品は事前に注文を受けて、ブレベスやベレンで調達して船で輸送していた。
従業員のスーパーでの購入は前貸し制度で、給料支払時に清算していた。言うまでもないが近隣島民には現金で販売する事になる。

1998年2月に日本の本社から3人の役員の訪問を受けて、彼らをポルテルにあるピアリン植林地に案内した。
ベレンからブレベス基地までテコテコで飛んで、ブレベスからは船で現地に向かった。
f0096068_3375481.jpg

この植林地にはアナニ所有の大型船で夕方6時にブレベスを出航し、現地には午前4時頃到着する約10時間の船旅になる。

この船旅はデッキにヘッジ(ハンモック)を吊ってゆっくり横になり冷えたビールやカイピリーニャを飲み、ほろ酔い気分で気持ちの良い川風を受けながら寝る事になる。

午前4時の到着ではまだ夜が明けていないので川岸から100m程の沖合に船を停泊させて太陽が顔を出すのを待つ事になる。夜明け前に接岸すると猛烈な蚊に襲われる事になり、沖合での停泊となる。

100m離れていると蚊は全くいない、多分蚊は100mの沖合まで飛ぶ事ができないのであろう。
夜明けとともに船を接岸し、まだ薄暗い植林地の発電機のエンジンをかけて周辺に明かりをつけ上陸することになる。
f0096068_34158.jpg

f0096068_3412846.jpg

上陸後は事務所周辺の植林地、植林木や学校、教会、スーパーなどの視察を行い、更に従業員家族の要望等聞き改善に努めていた。

[PR]
by wagahai_tt | 2014-06-11 03:42 | 印象深い事柄 | Comments(0)

アナニ船舶有限会社


ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(149)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

307.       アナニ船舶有限会社

国境周辺のアマゾン地域では、外資による海運業が禁止されているので国内資本で立ち上げたアナニ船舶(有)で船を運航していました。

アナニは大型船から二人乗りのモーターボートまで約40隻の船舶を所有して、ツルマ(グループ)がアマゾン各地の業者訪問や筏輸送を一手に引き受けていた。
更に、ブレベスやベレンで係留筏の管理作業の為の小型船の運行管理を行っていた。その上奥地の植林地で勤務する従業員やその家族が必要とする生活物資を運搬していた。

f0096068_4192646.jpg

我々が奥地の植林地を訪問する際も、大型船でヘッジ(ハンモック)を吊って夜の川風に揺られながら訪問していた。エアコンを設置したキャビンを備えていたが、ヘッジ方が人気があった。

f0096068_4204841.jpg

大型船は二階建ての大型船で船長、機関士、調理人たちが乗務して運行していた。操舵室は二階前方にあり、機関室は一階中央部後方にあり、操舵室と機関室のコミュニケーションは一本のロープとそのロープの先についている鈴の鳴る回数だけである。
エンジン始動、エンジン全開、スクリュー逆回転、停船、など等の指示も鈴の鳴る回数だけである。

f0096068_421254.jpg

アマゾンには電話中継基地が無いので本部との連絡は全て無線か通信衛星を利用した衛生電話だった。船の屋根には無線の受信・発信用のアンテナと人工衛星からの衛星電波を受信するパラボラアンテナを装備していた。
無線も衛星電話も会話は交互通信だった。

彼等は一度出航したらアマゾン河流域を航行ながら約一ヶ月の船旅になる。業者の居る各港に寄港した時は、港に上陸して宿泊したり、時には船で宿泊したり、と過酷な労働に従事していた。




[PR]
by wagahai_tt | 2014-06-04 04:23 | 印象深い事柄 | Comments(0)