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ブラジルの切手紹介-56


ブラジル軍服の変遷

1985年に発行されたブラジル軍の初期の軍服の切手です。

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f0096068_3543050.jpg 南米大陸13ヶ国の大半が19世紀前半に独立した南アメリカ諸国の軍服は、同時期のヨーロッパ諸国(特に旧支配国のスペイン、ポルトガル)のパターンをほぼ踏襲する形で出発した。
その後、特に陸軍の軍服においては主に以下の3国の影響を受け、これらの要素が混在しながら各国の軍服の個性を生かしていると言える。

フランスの19世紀中葉~同世紀末の軍服、
ドイツの19世紀末~第二次大戦前の軍服
アメリカ合衆国の第二次大戦後の軍服の影響を受けている。




ブラジル陸軍の軍服
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ブラジル海軍の軍服
海軍の軍服は、ほぼ一貫してイギリスの影響を受けたものであった。
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ブラジル空軍の軍服
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by wagahai_tt | 2013-02-27 04:05 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-55


サン・ジョアン・デル・レイ駅

1984年に発行されたサン・ジョアン・デル・レイ駅の切手です。
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オエステ・デ・ミナス鉄道は、ブラジル、ミナス・ジェライス州のサン・ジョアン・デル・レイからチラデンテスまでの12kmを結ぶ、観光用の保存鉄道である。1989年にブラジル国立歴史芸術遺産協会 (Iphan) により歴史遺産に認定された。

前身である軌間762mmの鉄道網は、地域の殖民に寄与する目的で1881年に敷かれ、1960年には一部が軌間1000mmに改軌されたが、残りの区間は1983年に放棄されたままであった。1980年代初期に、市民団体であるABPFの運動の結果、2つの歴史的な街を結ぶ区間が保存鉄道として復活した。ヴァーレの子会社であり、この地域の貨物鉄道を運営するFCA (中部大西洋鉄道) が実際の運行を担当している。4両の蒸気機関車が動態保存されている。
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サン・ジョアン・デル・レイの駅には博物館があり、軌間1000mmのものを含む機関車や客貨車が保存されている。また転車台や修理工場も併設されている。

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by wagahai_tt | 2013-02-20 03:58 | 切手 | Comments(0)

イガラッペ・アスー、サンブラス部落で講習会

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Asflora2月度現地活動報告を紹介します。

イガラッペ・アスー、サンブラス部落で講習会 (2013年2月6日)

Asflora(アマゾン森林友の協会)は、東京農工大学やJICA草の根プロジェクト「遷移型アグロフォーレストリィ普及・認証計画」と提携し、サンタ・バルバラ市エスペジット・リベイロ入植地に加え、イガラッペ・アスー市(ベレン市より220㎞)でも、アグロフォーレストリィの普及活動に加わっています。
この草の根プロジェクトでは、イガラッペ・アスー市サンブラス部落(市街地から17㎞)で、零細農民へのトメアスー方式によるアグロフォーレストリィの導入を開始しています。 
2月6日午前10時に、プロジェクト地域の農民10名に集まって貰いました。佐藤、マルルッシ、アンデルソンの三名(Asfloraのメンバー兼農工大プロジェクトチーム)より、このプロジェクトを再説明し、安全作業、ゴミ処理などについての話をしました。
サンブラス部落は小さな集落で9家族からなり、リーダーはアンテーロでみな親類です。講習会は、アンテーロの家の居間で、プロジェクターを使って始めましたが、始めて10分もすると雨が降って来て、停電、近代兵器?は用をなしません。
以下、写真で当日の模様を紹介します。
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上写真) アンテーロ(写真右から2人目)の居間で、マルルッシ講師が堂々たる講話中です。 
消毒作業の時間、マスク使用、安全を守るために長靴、作業手袋の使用 などを話しています。 
今までやっていなかったことです。 先週、アンテーロがテルサード(蛮刀)で、左手の甲を切り、神経が切れてしまって3日間、カスタニャールの病院に入院した事故直後でしたので、みんな注意深く聞いていました。
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写真左)左手に包帯をしているアンテーロ。神経をつないでもらって、指が動くようになっています。事故の際本人は、血があまり出ないし、ほんのかすり傷と思っていたようです。   
写真右)停電後、ノートパソコンの画面を使って説明しました。

居間に入りきれなかた人たちは、玄関から熱心に聞いてくれていました。(写真下)
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講習会後、1月に植え付けを済ませたアグロフォーレストリィ展示圃場を見てきました。
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この展示圃場の面積は1ヘクタールです。 バナナやカカオの列間にトウモロコシが芽吹いています。

写真左上は、胡椒とマラクジャ(パッションフルーツ)が植えられています。 胡椒は、4種類(カリムンダ、シンガポール、コタナダン、パニル)の苗木を植えまた。支柱は、通常の木材支柱と、生木(gliricídia)支柱(写真の右)を取り入れています。

この近くでは、トメアスー方式アグロフォーレストリィ(SAFTAと呼ぶ)は、初めての試みで生木支柱も初めての導入になりました。

これから、この展示圃場の生育に合わせて、サンブラス部落の人たちだけでなく、周辺の小農家の人たちを呼んで、アグロフォーレストリィの講習を行ってゆく予定です。

零細農家の人たちは、苦しくなって住み慣れた土地から離れていくことが多くなっています。このプロジェクトが少し収益を上げる指針となり、住みなれた土地から離れず、地域に伝わる生活習慣(農村文化)が続く手助けになれるなら喜ばしい事と思います。

サンブラス部落の一軒
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                                                                以上

佐藤卓司
Asflora(アマゾン森林友の協会)代表
東京農工大客員教授・JICA草の根プロジェクト現地調整員

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by wagahai_tt | 2013-02-13 05:03 | Asflora | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-54


カンピーナス農業組合

カンピーナス農業組合の100周年の切手です。
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カンピーナス(Campinas) は、ブラジル南東部サンパウロ州の都市。標高約700mの高原に位置する。サンパウロにつぐ同州第二の都市です。

当初カンピーナスは、ブラジルの奥地開拓者(バンデイランチス)の基地として建設され、カンピーナス・ヂ・マト・グロッソと名付けられた。最初の入植はフランシスコ・バヘット・レメ・ド・プラドの下1739年から1744年の間に行われた。
1797年には町に昇格し、名称もヴィラ・ヂ・サォン・カルロスに変更されたが、1842年に市に昇格した際にカンピーナスとなった。

初期のカンピーナスの主産業は農業で、肥沃な土壌を利用して主にサトウキビやコーヒーの栽培が行われていた。しかし19世紀後半に入るとコーヒーの需要が伸び、市の人口は飛躍的に増加した。空前のコーヒー景気の中1872年にはパウリスタ鉄道会社が設立され、カンピーナスはブラジル有数の大都市へと成長した。

下町のイペの街路樹
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20世紀に入って黄熱病が流行し、人口の3割を失う大きな打撃を受けたが劇的な復興を見せ、「不死鳥の町」として広く知られるようになった。

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by wagahai_tt | 2013-02-06 04:22 | 切手 | Comments(0)