<   2012年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧

ブラジルの切手紹介‐46


ペドロⅡ世

1982年に発行されたペドロⅡ世の切手です。

f0096068_353578.jpg

ペドロⅡ世(Pedro II、1825年12月2日 - 1891年12月5日)は、ブラジル帝国の第2代でしかも最後の皇帝(在位:1831年 - 1889年)です。初代ブラジル皇帝ペドロⅠ世とオーストリア皇帝フランツⅠ世の次女マリア・レオポルディナ皇后の長男で、ポルトガル女王マリアⅡ世の弟です。ブラジル本国では一般にドン・ペドロⅡ世(ドン・ペドロ・セグンド)と呼んでいます。
1825年12月2日リオ・デ・ジャネイロ生まれのため、ブラジル生まれの君主が誕生することとなったのです。

f0096068_361464.jpg

ペドロⅡ世は学問や芸術を愛好するリベラルな君主で、フリーメイソン(友愛団体)の会員でもあり、憲法で国教と定められたカトリック教会を抑圧、新大陸で不可欠とされた黒人奴隷制の廃止にも尽力した。しかし、この政策は王政の支柱たる教会と地主層の離反を招くことになった。
ペドロⅡ世は頭が大きかったのか、学問や芸術の愛好家だったからか、この切手にはCabeca Grande(頭でっかち)と書いてあります。

[PR]
by wagahai_tt | 2012-11-28 03:08 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-45


ミナス・ジェライスのカルモ教会(Igreja do Carmo)

ミナス・ジェライスの広場に立つカルモ教会の切手です。
f0096068_2594275.jpg

18世紀後半から19世紀初頭に建設された上品な雰囲気の教会ですが、残念なことに、内部は1999年に焼けてしまい修復したとのことです。
このカルモ教会は黒人が使用することを許された教会です。

f0096068_312374.jpgf0096068_315837.jpg    








カルモ修道院 (Convento da Ordem do Carmo)は、ポルトガルの首都リスボンにある中世につくられた修道院で、1755年11月1日、リスボン大地震で修道院と教会のほとんどが破壊され、その後再建されず廃墟となっています。崩壊したゴシック様式の教会「カルモ教会」(Igreja do Carmo)は、大地震の爪痕です。

[PR]
by wagahai_tt | 2012-11-21 03:04 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-44


シモン・ボリバル生誕200年

1983年にブラジルで発行されたシモン・ボリバル生誕200年の切手です。

f0096068_150922.jpg

シモン・ボリバル(シモン・ホセ・アントニオ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダー・ボリバル・イ・パラシオス、Simón José Antonio de la Santísima Trinidad Bolívar y Palacios、1783年7月24日 ~ 1830年12月17日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家です。

f0096068_1511133.jpg

ベネズエラのカラカスにアメリカ大陸屈指の名家の男子として生まれたが、16歳のとき1799年にスペインで任官していたおじを頼ってヨーロッパに渡った。
ボリーバルは1811年にベネズエラに帰国し、3月に開かれた制憲会議で演説を行った。1811年7月に、制憲会議がベネズエラの独立を宣言した。
ボリーバルはその後の生涯をラテンアメリカの解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれた。

[PR]
by wagahai_tt | 2012-11-14 01:54 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-43


ブラジルの独立

1982年に発行されたブラジル独立の切手です。
f0096068_3382139.jpg

1822年9月7日、ペドロはサンパウロのイピランガ川のほとりで「独立か死か」との、いわゆる「イピランガの叫び」を発し、ブラジルの独立が宣言された。ペドロはリオでブラジル皇帝ペドロ1世として即位し、ブラジル帝国が建国され、ハプスブルク家の黄色とブラガンサ家の緑のリボンで町は満ち溢れた。ポルトガル軍は残留したものの、ホセ・デ・サン=マルティンに仕えてペルー解放に同行した元英王立海軍の軍人、トマス・コクレーン卿の活躍もあり、マラニョンのポルトガル軍は排除された。こうしてブラジルの独立が達成された。
f0096068_3392636.jpg

ブラジルの独立はリスボンの政治家達が激しく反対した一方で、ブラジルの側近達が後押しして、若き王子の心は独立へと傾いていった。王室がポルトガルに帰還してから約1年後の1822年9月7日、王子はブラジル「帝国」の独立を宣言し、同年12月1日、自らをドン・ペドロ1世と称して正式に皇帝の地位についた。

ブラジルの独立はイスパノアメリカ(中南米大陸のスペイン植民地) 諸国の独立と比べると大きな混乱や政治的な対立を伴わずに達成された。
これは植民地時代にブラジルを包括する原初的な国内市場が成立していたことと、ポルトガル王室のブラガンサ家が帝位に就いたために、イスパノアメリカ諸国のような分裂状態には陥らなかった。
しかし、このことはイスパノアメリカ諸国が解放者シモン・ボリバルやホセ・デ・サン=マルティン、ミゲル・イダルゴらによって16年間続けられた独立闘争により、曲がりなりにも本国出身者から政治権力を奪取したのとは対照的に、ブラジルにおいては植民地時代の権力構造と大地主の支配がそのまま継続したことにも繋がった。
既に1808年のリオ・デ・ジャネイロ遷都と共に、イギリス資本に国内市場が解放され、イギリスから莫大な投資が流入し、イギリスへの経済的従属が始まっていた。


f0096068_3412598.jpgf0096068_3415191.jpg

 






   
毎年9月7日は独立記念日として全国民が祝っている。アマゾン河口の街パラ州ベレン市でも軍隊の行進があり、軍と国民が一体となって祝っています。

[PR]
by wagahai_tt | 2012-11-07 03:44 | 切手 | Comments(0)