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ブラジルの切手紹介-13


サン・フランシスコ教会

サン・フランシスコ教会の切手です。
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現在のサン・フランシスコ教会です。
f0096068_6124214.jpgフランシスコ教団の僧侶たちによって18世紀初頭(1708年)にバイア州サルヴァドールに建設された教会です。








教会正面
f0096068_6174217.jpgサン・フランシスコ教会の正面には複雑な彫刻が施されていて、ブラジルにおけるバロック建築の最高峰とされています。
バロック建築は1590年頃から盛んになった建築様式で、建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴としています。特に内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際立った特色となっています。
バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)といわれ、元々は一部に見られるグロテスクなまでに装飾過剰で大仰な建築に対する蔑称であったが、のちに広く17・18世紀の美術・建築に見られる傾向を指す様式概念として用いられるようになったようです。
バロック建築は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった総合芸術となっていることを特徴としています。

タイルパネル
f0096068_6195482.jpg教会内部のタイルパネルは、聖フランシスコの誕生と、物欲を捨てるという強い志を物語っているそうです。

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by wagahai_tt | 2012-02-22 06:24 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-12


ミナス・ジェライスの反乱

1985年に発行されたミナスの反乱博物館の切手です。

f0096068_4385064.jpg ブラジルの歴史では、1789年に、後世言われる「ミナスの陰謀」 の発火点となったミナス・ジェライス出身のチラデンテス が指揮したこの反乱は、ブラジルで起こったポルトガルに対する最初の独立運動で、チラデンテスの試みは失敗に終わったものの、1831年に実現するブラジルのポルトガルからの独立の端緒を生じせしめたことで知られ、地域の生んだ英雄として街の中心広場に博物館として名を遺しています。




4月21日 はブラジル独立運動の志士、チラデンテスが処刑された日で、ブラジルがポルトガルから独立した後、英雄そして独立の殉教者として記念された祝日です。

「Tira(チラ)」とは「抜く」、「Dentes(デンチス)」とは「歯」のことで、あわせて『歯を抜く』という意味になります。彼の本名は、ジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャヴィエール(Joaquim Jose da Silva Xavier)で、彼は歯医者で歯を抜くことが上手かったのでこのあだ名が付いたのです。

彼は1756年にミナス・ジェライス地方のサンジョアン・デルヘイに生まれたが、この時代はポルトガルによる植民地支配の中で、貿易の独占や過酷な税金の取り立てなどで、ブラジルの人々は大変圧迫されていた時代で、特に金鉱を抱えるミナス地方には強い圧力をかけられていた時代です。

18世紀頃中頃、フランスの思想界において生まれた自由平等の思想が、ヨーロッパから帰った進歩的な留学生などからブラジルにもたらされ、さらに1776年7月4日には北アメリカが独立を宣言し民主主義国家を誕生させたことは人々に独立への情熱を沸き立たせました。

1789年ミナス・ジェライスのヴィラ・リーカで同志と共に革命が計画され、サンパウロでも同時に決起するという手はずとなっていたが、同志ジョアキン・シルベーリョ・ドス・ヘイスの裏切りにより事前に発覚して失敗し、首謀者はことごとく逮捕された。

3年にも及んだ裁判の結果、捕らえられた首謀者集団の中でもっとも身分が低かった彼のみが革命の全責任を負って1792年の4月21日、リオ・デ・ジャネイロのサン・ドミンゴス刑場にて処刑された。彼が絞首台に立ったとき、「自分は人間が求める自由のために死ぬ」と言ったと伝えられています。この事件は「ミナスの陰謀」と呼ばれ、ブラジル最初の独立運動となり、ブラジル独立の気運を盛り上げていくことになった。

4月21日はチラデンテスの記憶を後世に残すために国民の休日になっています。

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by wagahai_tt | 2012-02-15 04:51 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-11


ブラジル奥地探検隊

1984年に発行されたブラジル奥地探検隊の切手です。

f0096068_426173.jpg 17世紀中頃、サンパウロに拠点を置いていた奥地探検隊バンデイランテス (Bandeirantes) は、サンパウロの奥地に建設されつつあったイエズス会の教化集落を襲撃し、住民であるインディオを奴隷として海岸部のサトウキビ農園へと売却して行ったが、その過程で奥地の開発が進められ、サンパウロの重要性は徐々に上昇していった。また、イエズス会はスペインの支援を受けていたが、バンデイランテスによって撤退を余儀なくされ、その土地にバンデイランテスが進出することによって、1494年のトルデシリャス条約で決められた境界線を遥かに越えて西方に拡大した実効支配領域を、友好国イギリスの後押しを受けて、スペインにポルトガル領と認めさせてきた。


f0096068_4293597.jpg 1777年にポルトガルとスペイン間で締結された「サンイルデフォンソ条約」 で、最終的にブラジルのスペイン植民地に対する境界線がほぼ現在の姿になった。

その後もバンデイランテスの活動は続き、1693年には現在のミナス・ジェライス州で金鉱を発見し、これがブラジルの発展のきっかけとなった。しかし、金を求めてやってきた山師たちと、金鉱を発見したサンパウロ市民との対立は悪化し、1708年にはエンボアーバ戦争が勃発。サンパウロは敗れ、ミナス・ジェライス地方の開発権を失った。しかし、サンパウロの開発方向は西へと向かい、ゴイアス州やマトグロッソ州方面の開発拠点となっていった。

尚、南米大陸には、フランス領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ブラジルの13カ国がある。その中でフランス領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ブラジル以外の9カ国はスペイン植民地時代の歴史を持っています。

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by wagahai_tt | 2012-02-08 04:32 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-10


ブラジル発見

1984年に発行されたブラジル発見の切手です。
f0096068_624159.jpg1500年4月22日は、ポルトガル人ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Alvares Cabral)がバイア地方の南の海岸に到着しポルトガル領を宣言した日です。

ブラジルを発見したカブラルは大陸を島と誤って認識し、「ベラ・クルス島」と命名しました。間もなくマヌエル1世によって「サンタ・クルスの地」と改められ16世紀中頃まで使われていました。

しかし、発見当時から大量に自生していた赤色染料の原料になる“ブラジルの木” パウ・ブラジル   (Pau-brasil)のイメージがヨーロッパの人々にとって強い印象を与えていたようで「ブラジルの木の地」などと呼ばれるようになり、他の呼び方をおさえて今日の国名 「ブラジル」  になっています。

当時のヨーロッパでは、赤色は高貴な色として珍重されたが、人工的赤色がまだ無い時代で、赤色の染料は自然界から採取していたため、パオ・ブラジルの芯材から赤い色素(ブラジリン)を抽出し、これを赤色の染料として用いていました。

f0096068_626381.jpgブラジルという国名の由来にもなったパウ・ブラジルは、木質は堅く、木目は締まっていて、色は赤で非常に奇麗な艶のある色をしているので、楽器・建築資材・赤色染料として、多量に伐採されてヨ-ロッパに持ち込まれたために、現在では歴史を物語るこの樹木の原生林を見ることが出来なくなっています。

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by wagahai_tt | 2012-02-01 06:39 | 切手 | Comments(0)