<   2009年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(35)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

87. ブラジルの「朝食」は「カフェ・ダ・マニャン」と言う。
「Café da Manha(朝のコーヒー)」と言う言葉が「朝食」だ。  

さすがに、コーヒーの生産国だけはあると思った言葉だ。
国が違えば「朝食」と言う言葉一つにしても違うものだ。
つくづく国の違いを感じる言葉だった。

f0096068_4475331.jpg当時は毎日コーヒーを何杯も飲んでいた。
ただ、非常に濃く甘いコーヒーだから小さな一口大のカップ(シーカラ)で飲んでいた。





f0096068_4492174.jpgこのシーカラは日本のコーヒーカップの3分の1以下の大きさだが現地では、非常に濃くて甘いカフェを飲むので、この大きさが適しているようだ。





f0096068_4505150.jpg日本にも輸入しているブラジル産コーヒーでも、その飲み方はブラジルと日本では大きな違いがあるものだ。








88. f0096068_4554468.jpgアマゾン河の支流ネグロ河 は、大海に匹敵する広さに見える。









f0096068_501646.jpgこのネグロ河に注ぐ細く穏やかな支流の中に、 Casa Flutuante と呼ばれる、浮いている家がある。

この名前の由来は、Flutuanteという非常に軽く水に浮く木材の名前から来ている。
この木材は、アサクと呼ばれる大きくて軽い木の仲間のようだ。

f0096068_515724.jpgこの軽い木材を筏にして、その上に普通の家屋を建てるのであるが、水の中で筏にしているこの軽い木材の耐久力がどんなものなのかは、定かではない。
この浮き家を傍から見る限りは、立派な家だ。




f0096068_531479.jpg電気は自家発電しながら、テレビを見ているよのであろう、テレビアンテナも取付けていた。
又近隣との連絡は無線によるのであろう、無線のアンテナのような長い支柱が見える。




近所付き合いや買い物などは、ボートに乗って出かけるのだろう、自家用のボートを係留していた。
波があれば揺れる家、流れがあれば流される家、果たして住み心地は如何なものか・・・。

一度住んでみたいと思うが、長続きはしないだろう。
これも印象に残った光景だった。
   

89. f0096068_59403.jpgアリアウホテルは、アマゾンの森林の中に建てたタワーホテルだ。
木造のホテルで、20mの木の櫓の上に7階建てのホテルを20ヶ所ほど造り、宿泊客を泊めている。






f0096068_5114687.jpg各タワーを支える土台はクアリクアラと言う非常に堅い丸太を中心に組み上げている。







f0096068_51343.jpgメインの建物には、1階に受付ロビー、2階は大食堂のあるタワーで、
更に、各種の土産物売り場、バー、宝石店などが軒を並べていた。
このホテルの従業員は総勢150名、ガイド12名、12日間労働で3日休日のシフト制をとっているようだ。



従業員やガイドは敷地の一角に専用のタワーがあり、全員そこで暮らしている。

f0096068_5154026.jpgタワーからタワーへの回廊は縦横に走っていて、この回廊を歩いて目的の場所に行くのだが、注意して標識を見ていないと迷子になりそうだ。






f0096068_517688.jpg野生の猿が多いホテルで、観光客に食い物を貰ったり、備え付けの餌箱で食べたりと、かなり馴れたもので我々が使う椅子やテーブルでくつろいでいる。






f0096068_5183214.jpgこの森には3種類の猿がいるようだが、顔を見せたのは2種類で、セーロとカイラーラだ。







f0096068_5215778.jpg宝石店のウインドーに珍しいものがあったので、女性店員に尋ねたらブラジルの宝石アクアマリン の原石との事。





原生林を利用しながら、自然を満喫させてくれるこのホテル ARIAU 
AMAZON TOWERS
 に満足した。

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-30 05:26 | 印象深い事柄 | Comments(0)

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(34)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

83.帰国前に住んでいたアパートは、3寝室に、リビングに、キッチンに、洗濯場に女中部屋を備えたアパートだ。
しかも、広さは約250~280㎡だ。

f0096068_8483353.jpg3寝室にはいずれもバス・トイレ・洗面を完備したもので、更にリビングには来客用のトイレ・洗面を備えており、10人ほど座れるソファーに、8人掛けの大理石のダイニングテーブルを置いた20畳ほどの広いリビングだ。
キッチンも広く、同じく20畳ほどあっただろう。

f0096068_8495985.jpgベランダに熟れたマモンを置いておくと野鳥が遊びに来てよく啄ばんでいた。

日本からの来客を夕食に招いた時は、料理の配膳を待ちながらベランダのテーブルで一杯飲みつつ歓談することにしていた。



キッチンや調理台のトップも全て天然大理石を使っている。
ブラジルは大理石を切り出しているので、色柄ともに豊富だ。

このアパートは、家具・調度品・装飾品など全て揃っているので、入居さえすればよかった。
自分で持ち込んだ家具は、大型冷蔵庫・大型冷凍庫・洗濯機・乾燥機・炊飯器・食器類程度で、後は全て揃っていた。

しかも、私が使っていた主寝室は10畳ほどの広さにダブルベットが一つ置いてあるだけだが、別に6畳ほどの部屋に、作り付け家具のウオーキング・クローゼットが付いていたので、必要な物は全てそこに収納できた。

地下一階地上18階建てのアパートで、居住階は2階から18階までの17階で、ワンフロアー二軒のアパートだから静かなものだった。

1階には集会場や会議室等で居住空間は無い、この点が日本のマンションとの違いである。
   更に、一階の外には住人用の大小プールにサウナやバーベキュウーコーナーに多目的コートを備えていた。
地下駐車場は各世帯が2台駐車できるスペースで、良い車が駐車していた。

この広くて高級感のあるアパートを賃貸していたので、帰国後は我家が狭く感じて仕方なかった。


86. 東海岸沿いにペルナンブーコ州がある。首都レシフェ(レシフェの名前は珊瑚礁に由来する)からタクシーで1時間ほど走ったところにポート・デ・ガリーニャと言う静かな海岸がある。

f0096068_853771.jpg空港でタクシーに乗り込み現地に向うが、55kmの道のりの途中には広大な砂糖キビ畑があり、その間を縫うように走ると海岸が見え始める。
海岸に沿ってしばらく走るとポート・デ・ガリーニャの港に着く。




f0096068_858557.jpgポート・デ・ガリーニャ=「鶏の港」と呼ばれる海岸は、以前鶏を育てて州外に販売していたようで、そこからこの名前が付いたようだ。





f0096068_8593683.jpg訪ねた時は全くその時代の面影は無く、ありふれた田舎の海岸になっていた。
家内と2人で海岸のパラソルの下で、ビールやカイピリーニャを飲みながらのんびりした時を過ごしたのを思い出す。




以前家族で「オ・リンダ」を訪ねたのを思い出した。
「オ・リンダ=なんて美しいのだ」と言う場所で、高台から市内や海岸線を見下ろす景色だった記憶がある。
   
これも23年前の思い出だ。

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-25 09:00 | 印象深い事柄 | Comments(0)

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(33)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

83. f0096068_602974.jpgブラジル側のイグアスの滝のある国立公園の入口近くに、
鳥公園(Parque Das Aves)がある。






f0096068_631579.jpg鳥公園の中には、大きな鳥小屋が幾つもあり、普通に鳥小屋の外から中の鳥を覗いて見る場所と、







f0096068_651298.jpg我々見学者が鳥小屋の中に入って、順路を歩きながら鳥と同じ空間の中で見る場所との二種類の鳥小屋がある。







鳥小屋の入口には二重の網戸が付いていて、一枚目の網戸を開けて中に入り、しばらく進んで二枚目の網戸を開けて鳥小屋の中に入るシステムで、鳥が逃げないように工夫がしてある。出口も同じシステムだ。

f0096068_671677.jpgこんな鳥公園の鳥小屋の中に入ると、色んな鳥が迎えてくれる。
特にブラジルの国鳥トッカーノの出迎えには感動する。
近くにまで寄って来て触らせてくれるのだ、慣れているトッカーノだ。




f0096068_695520.jpg南国の色鮮やかなパパガイオ(オームの類)も数種類が出迎えてくれる。
   







f0096068_6122459.jpg中には名前の分らない(覚えていない)奇麗な鳥も何種類かいて、鳥の好きな人には感激を与えてくれる鳥公園です。







f0096068_6151286.jpgこの鳥公園は、個人の運営で、しかも国内・海外から、かなり多くの種類の鳥を集めて観光客を楽しましている。
ゆっくり楽しんでいると一時間以上かかるが飽きない公園だ。





f0096068_6164747.jpg鳥の好きな人や、写真を撮りたい人には、一日中楽しめる場所だ。
この鳥公園にも何度か訪問した。







良い思い出となった場所だ。


84. f0096068_6205161.jpgブラジルの東海岸、セアラ州の首都フォルタレーザを訪問した時、一人の女性(おばちゃん)が、色付けをした砂と先の曲がった針金一本で、器用に砂絵 を書いていた。
しかも小さなビンの中に・・・・・。
これが素晴らしい!!!




ベースになる普通の海岸の砂を、ビンの中にほぼ一杯に入れて、色の付いた砂を、少しずつビンの中に入れて、先の曲がった針金で器用に絵にして行くのだ。

f0096068_62413.jpg何かを見ながら絵にするのではなく、彼女の頭の中のイメージを絵にして行くのだ。
それが、フォルタレーザの海岸線であったり、民家であったりと、彼女の生活圏の絵になっている。





f0096068_6261855.jpg一本のビンの中に描く絵は、ビンの周囲にパノラマ的に描くのだが、僅か10分程度で書き上げるのにも驚いたものだ。







f0096068_6275419.jpgビンの中の絵だから、ビンが割れるとただの砂になる。








こんな驚きで始まったフォルタレーザの旅も、記憶に残る旅になった。

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-20 06:29 | 印象深い事柄 | Comments(0)

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(32)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

80.ベレンに着任した時、言葉が分からないので、日系二世の家庭教師をお願いした。
日本に留学経験のある、日伯病院に勤務する女医で、週一回の授業だ。
日本語が非常に堪能なので、授業の半分以上は日本語になったので、ポルトガル語が中々上達しなかった記憶がある。
そんなミキの家族と親しく付き合うようになった。

ミキの実家は、イガラッペ・アスーという田舎の入植地で、巨大なピメンタ(胡椒)農園を経営する日系一世の農家で、成功した裕福な家庭だ。
そんなミキの家族が、正月に我々と友人の家族を農園に招待してくれた。
我々二家族が初めて訪問すると言うことで、農園には近所の日系人数人が集まり、歓迎してくれた。

例によって、カシャーサやビールやウイスキーで乾杯しながら談笑した。
昼食時間になり、別のテーブルに用意されていた巻寿司をみんなで食べることになった。
案内されて別のテーブル行くと、そこに大きな皿に積み上げられた巻寿司 があった。

ただ、巻寿司の具の部分が真っ黒で、何を巻いているのか分らず、一つ皿に取り分けようと手を出したら、一斉に黒いハエが飛立ち、具が現れたではないか・・・。
これには驚いた!!!

「ハエのいない農家は、農家ではない。日本の人は気持ち悪がるが、これが私達の日常です、食べる時に具にレモン(ライム)を掛けて消毒をして食べれば何の問題も無い」と説明され、レモンを絞って食べた。
これが農家の巻寿司だ、味は良かったよ。

その後は、近所の家庭でカラオケ大会をやったが、一般家庭の中に立派なステージ付きのカラオケルームを造っていた。
これにも驚いた!!!   

81.ブラジルの現金輸送車は、装甲車さながらだ。
分厚い鉄板と3cmの防弾ガラスが装備された車の中に4名のメンバーで現金を運んでいる。
一人は運転手で、他の3人は現金警備員だ。
3人の警備員が持つ重装備が凄い、 腰には拳銃手にはライフルやショットガン を持ち警備しながら現金を輸送する。

銀行に現金の運搬を頼むと、彼等の出番となる。
現金輸送車を玄関に横付けし、運んで来た現金を事務所の中の金庫部屋まで持ち込むが、一人は玄関で、一人は事務所の入口でライフルやショットガンを手に警備、一人が現金の入った大きな袋を持って事務所に入って来る。
現金を確認後、受取伝票にサインをすれば終わりとなる。
日本の宅配便と全く同じだ。

こんなに厳重な警備をしている現金輸送車が、 2人組みに襲われた。
ブラジル銀行の郊外の支店に現金を運搬し、その後、我々の従業員用給与の現金を搬入する予定だったが、銀行の支店に到着して輸送車のドアーを開けた瞬間に、拳銃を持った2人組みがいきなり乗り込み、運んでいた現金を奪って逃走した。

我々の現金は速やかに銀行が再手配して、給料遅配にはならなかったが。
こんな経験をするのもブラジルだからであろう。

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-16 07:55 | 印象深い事柄 | Comments(0)

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(31)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

79.ベレンの婦人会の旅行。
3週間掛けて南米一周のバス旅行だ。
  

 
ベレンを夜出発して、首都ブラジリアから大都市サンパウロを経由し、 アンデス山脈を越えてアルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリの首都サンティアゴに入る旅で、婦人会のメンバーだから、さぞかし姦しい旅だっただろうと想像できる。

サンティアゴでは、ベレンから移住した日系人の矢吹夫妻を訪ねて、一緒に食事をしたり、買い物の案内をしてもらったりと楽しんだようだ。

ブエノスアイレスでは、本場のアルゼンチン・タンゴを楽しみながらの食事だったようだ。
往復のバスでのアンデス山脈越えが素晴らしかったようだが・・・。

帰りはパラグアイの首都アスンシオン経由で、国境にかかる「友情の橋」 を渡ってブラジルに入国した。

こんな婦人会旅行に家内が日本から参加した。
単身赴任の時に、1ヶ月間やって来て3週間の旅だから、結局我家には1週間いただけで、殆ど私の世話もせずに日本に帰国したのだ。

今回の婦人会の旅行で、主婦が3週間も家を空けるのはさすがに長すぎると言う事で、翌年の婦人会の旅行は、期間を短縮して2週間のマイアミ旅行に決定したようだ。

この旅行にも参加した家内を、空港まで送っての出勤で、亭主族は仕事で旅行にも行けないのに、 何が期間短縮の2週間だ!!!


80.アマゾンに移民した日本人は、やはり日本の食べ物が恋しいようだ。
そんな中の一品が漬け物だ。

でも、 糠(ぬか)が無いので、食べたい糠漬けが作れない。
手近にあるものでなんとか出来ないものか・・、と試行錯誤。
そこで彼等は、日本人の知恵を発揮した。
熟れたバナナを潰した中に塩を混ぜ、糠床に代わる漬け物の床を作って、中にキューリ・なすび、マモン(パパイア)等を漬け込んだ。
この漬け物は、本当に美味い!!!

バナナの甘味が漬け物に浸み込み、大人から子供までの味になる。
ご飯のおかずにもなり、ビールやウイスキーの肴にもなる優れものだ。
彼等の知恵には驚いた。

更に、急に漬け物が食べたくなった時は、キュウリをビールに漬けて 30分から1時間程待てば、これまた美味い即席の漬け物になる。

正月には、土産に貰った海苔で巻寿司を作りたい。
だが、どうしても具に使う干瓢 が手に入らない。
そこで又、彼等の知恵が働いた。

f0096068_9505787.jpg熟れる前の青いマモン(パパイア)を干瓢のように剥いて干して見た。



殆ど干瓢と変らないものが出来た。
これで日本と殆ど同じ巻寿司が作れた。

こんな彼等の知恵に触れて、驚いた!!!
正月にはそんな巻寿司をご馳走になった。美味かった!!!

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-12 06:40 | 印象深い事柄 | Comments(0)

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(30)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

77.ブラジルは27の州を持つ国で、 その中の一つにパラ州がある。

f0096068_5583312.gifアマゾン河の河口に面した北伯パラ州の広さは、1,248,042k㎡で、 ブラジル国土の約17%、アマゾン地域の26%を占めて、日本の約3.3倍の面積です。



f0096068_624426.jpg人口は約600万人程度で、州都ベレン近郊には約140万人が住んでいる。
パラ州の北部には赤道が通っていて、北半球と南半球に跨っている。

パラ州と日本とのつながりは強く、ブラジルで3番目に日系移民の多い州であり、州内の日系人は1万2千人と言われている。
又、パラ州は千葉県と姉妹都市を提携しています。

昔からこの地の経済は、伝統的に採集により成りたっていたが、70年代には、工業、農業、畜産業が推進されて来た。
更に、1995年パラ州の産業基盤は農業、鉱業、観光業に変化してきた。
アマゾン地域の中で、パラ州は今後発展が期待される州です。

f0096068_641139.jpgパラ州の州都ベレン市は、赤道直下に近く、街並はマンゴー並木と下町はコロニア風で古い建物が立ち並ぶ町です。







f0096068_65957.jpg1616年、ヨーロッパ諸国の侵入を防ぐために、数本の大砲をアマゾン河に向けて設置したカステロ要塞を築いたのが、この町の始まりであり、ポルトガル王朝の直轄地の歴史を持つ町だ。







78. アマゾン移民の町トメアス
f0096068_6112659.jpg1928年南米拓殖株式会社(南拓)がパラ州政府から103万ヘクタールの土地を譲り受け、移住南拓事業を開始。アマゾン移民は1929年アカラに南拓第1回移住者として43家族と単身青年8人の合計189人が入植した事から始まる。




f0096068_6131062.jpg1933年臼井牧之助氏がシンガポールからピメンタ・ド・ヘイノ(胡椒)の苗20本を持ち込み、内2本が活着し、1952年のピメンタ景気の元を作った。1935年この時期まで適作物も定まらず開拓者は困窮の極みに達し、植民地からの退出者が相次いだ時期でもある。又悪性マラリアも大流行し、多くの移住者の命を奪ったのもこの時期である。1935年南拓も植民地事業を断念し福原八郎社長が帰国した時期でもある。

1939年第二次世界大戦が勃発、ブラジルは1943年、ドイツ潜水艦によるブラジル輸送船撃沈を契機に、枢軸国に宣戦布告をした。パラ州政府は、日本人移民者を敵国人としてその財産を没収すると同時に、アマゾン全域の日本人をトメアスに収容した。この時から移民の町トメアスの始まりである。

f0096068_6151345.jpg僅か2本の苗木から始まったピメンタ栽培は1952年に大高騰し、植民地は黄金時代を迎え、トメアス産業組合(CAMTA)の組合員だけでもピメンタ植付け本数44万本、年産800トンに達した。ピメンタ景気の始まりであり、1972年にはピメンタ生産が史上最高の5,000トンに達した。



f0096068_6163633.jpg その後ピメンタ生産にも紆余曲折があり、現在に至っている。   





f0096068_6183488.jpgそんなトメアスを訪問した時、規模の小さなもう一つの日本を感じた。
今まで知らなかった、こんな史実に触れたことにも感動した。






(*注:臼井牧之助氏は、女優小山明子(=大島渚監督夫人)の実父)

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-08 06:22 | 印象深い事柄 | Comments(0)

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(29)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

75.毎年5月1日に、職場対抗社内サッカー大会を行っていた。
社員の互選によるコミッショナー達が中心に、社員全員が一丸となって大会運営を実行していた。

サッカーチームは支店や子会社を含めて、約24チームが二面の構内サッカー場で優勝を競い合う。
チームも多く、15分ハーフの1試合30分の試合で、15分インターバルでの進め方をして、しかもPK決着も多いので約6時間かかる。
全員がサッカーに参戦するわけではないので、参加しない社員には、 マラソン・バレーボール・卓球・ダンスコンテスト・ダーマなど の試合で、少しでも多くの社員が楽しめるように、コミッショナー達の工夫が見て取れるが、それでも全員が参加できるわけではなく、応援や見物に回る社員達の方が遥かに多い。

当日参加の社員は、家族か友人の一人を連れて参加できるので、参加人数の事前把握は困難であり、集まる約2,000名全員の食材や飲み物を手配するのも苦労していた。
各競技の優勝者には、最後の表彰式でトロフィーを授与して、散会する。
社員達もこのイベントが終ると、ぐったりと疲れるので、翌日は休日にして休ませていた。

我々は、銀行や取引業者などを招待しているので、その接待に追われながら、焼肉やビールで乾杯するので、座って話をしているだけでも結構疲れる。
更に、我々も朝8時の開会宣言から夕方5時の閉会宣言まで、現場にいると疲れも酷く、ぐったりして帰宅することになる。

今では、メーデーの忘れ難い思い出となった。 
  

76. 観光名所の多いリオ・デ・ジャネイロ市内 の散策に出かけた。

f0096068_7553318.jpg 標高710mのコルコバードの丘の上に聳え立っているキリスト像は、ブラジル独立100年を記念して、1931年10月12日に建てられた全長38mの像で、ニューヨークの自由の女神の方向に向いて立っているようだ。

f0096068_833143.jpgコパカバーナの海岸から見上げた、 標高390mのパン・デ・アスーカ は大きな岩山で、頂上までは2回のロープウエーを乗り継いで登ることになる。
山頂から見る景色の、コパカバーナ海岸は弓なりに伸びた全長4kmにも及ぶ美しい海岸線だ。

f0096068_861144.jpg コパカバーナ海岸 のアルボアドール岬を曲がると、そこにはイパネマ海岸が現れ、コパカバーナに並ぶ美しい海岸として知られている。
このコパカバーナ海岸でトップレスが許可された、何ともブラジルらしいではないか・・・・。

f0096068_885863.jpg 市内に1950年に建設されたマラカナンのサッカー場がある。
現在の収容人員12万人。
サッカー選手なら一度はプレーしてみたいサッカー場だろう。
見ているだけでも奇麗なサッカー場だ。
以前は20万人以上の収容能力があったが、座席のリフォームで減少したが、この場所に居ると、試合の観戦で観客の盛り上がりが想像できる。

[PR]
by wagahai_tt | 2009-08-04 08:11 | 印象深い事柄 | Comments(2)