カテゴリ:切手( 91 )

ブラジルの切手紹介-61


国際青年年

1985年に発行された国際青年年の切手です。
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国際連合にて1985年に採択された「国際青年年」です。
日本では「国際青年年」を記念して、1985年6月15日に国立競技場にて大規模なジョイントコンサートが開催された。当時第一線で活躍していたミュージシャンが出演し、錚々たるメンバーが一堂に会して行われたイベントである。またこのイベントに出演したミュージシャンの殆どは、現在でも第一線で活躍しているミュージシャンばかりであり、現在から考えてもまさに夢のようなコンサートであった。観客動員数は63,000人。

競技場のグラウンドの中心には8つの円形ステージがステージ下にレールを敷いた状態で放射状に設けられ、各ステージでは出演するミュージシャン毎に使用される楽器を配置、その8つのステージを使用する出演者がステージに上がる(上がった)際にそのステージがレールにより真ん中に移動され演奏が行われた。尚、このイベントに使われたマイクは300本以上、アンプも200台と言われている。

1985年の「国際青年年」を記念して建てられたモニュメント。
このモニュメントは、川越街道と国道16号の交わるところを川越駅方面に行き、最初に道が二股に分かれるところの間にあるようです。
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御影石とステンレスからなり、「若者達により、古き良き伝統が継承され、未来に向かって躍進する近代都市川越」の姿を現しているそうです。
御影石は「歴史」を、ステンレスは「現代と未来の夢」を象徴するものだそうです。

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by wagahai_tt | 2013-04-03 03:59 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-60


米州機構(OEA)通常総会

1984年に発行された米州機構(OEA)通常総会の切手です。
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OEAはキューバを除く南北アメリカ大陸、カリブ海諸国34か国によって構成される。その本部は米国のワシントンにある。総会はおおむね各国外相級による会議となるが、大使クラスの代表を派遣する国もある。あらかじめ主要議題とされていたのは、域内の食糧安保の問題であった。

地域の人口は10億人であるが、6,000万人近くが飢餓、栄養失調の状態にある。しかも地域の食糧生産はこれら飢餓を発生することがない規模の生産を実現できている。これについては現在および将来にわたる改善策が提案され、栄養状態改善の闘いに取り組む国の方策が議論され、すべての国が取り組むことが決定された。

しかし総会の最大の焦点は、OEAの改革、とりわけ米州人権委員会(CIDH)、人権裁判所の問題であった。

第42回米州機構(OEA)通常総会が2012年6月3日から5日迄の3日間、ボリビア、コチャバンバ近郊のティキパジャにおいて開催された。
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開催国ボリビアのエボ・モラレス大統領は開会演説で、「OEAは1948年の創設時から米国の<植民地省>として、米国に奉仕する機関だった。<アメリカーノス(米州人)のためのアメリカ(米州)>というOEAの標語は<米国人のためのラ米>という意味でしかなかった」と前置きし、「OEAには、米国のための奉仕機関として死ぬか、米州全人民のために奉仕する機関に生まれ変わるか、いずれかの選択肢しかない」と、厳しく批判した。

又2011年6月7日の総会では、ボリビアのエボ・モラレス政権によって太平洋への主権ある出口の回復が提出された。ボリビアは1879年のチリとの太平洋戦争によって、太平洋岸400km、12万㎢の領土を失った。太平洋への主権をもった出口の回復は、ボリビア132年の要求となっている。

1884年4月4日にボリビアとチリの間で結ばれたバルバライソ条約は、 1879年に勃発した太平洋戦争を終結させる条約である。
この条約によりボリビアとチリの休戦が決まり、ボリビア領土であったアントファガスタ港がチリの領土となった。 以降現在に至るまで、ボリビアは海を持たない内陸国となり、輸出をチリやペルーの港に頼らなければいけなくなってしまった。
ボリビア人の中には現在もこの条約を不当と考え、海を奪ったチリに敵意を持つものが少なくない。 毎年3月23日を海の日 (El dia del mar)として「海を取り戻そう」キャンペーンを、テレビなどを使って行なっている。南米でさかんなサッカーの試合などでもしばしば「海を返せ」といった政治的な横断幕がみられる。

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by wagahai_tt | 2013-03-27 03:12 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-59


首都ブラジリア

1982年に発行された首都ブラジルアの切手です。
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ブラジルは、1960年にリオ・デ・ジャネイロ州から内陸でセラードと呼ばれる乾燥地帯に首都ブラジリアを移した。
何も無い乾燥地帯に新しく首都を建設したので、自由な発想と設計で首都を建設し、ブラジリアは飛行機型の都市を建設した。
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大統領府を飛行機のコクピットに見立て、胴体の部分に各官庁を配置し、両翼に国会議員や役人の高層住宅や各国の大使館などを建設した。
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官邸近くに国会議事堂を配備して、合理的な首都を建設した。
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コックピットから3km程のところに大統領官邸がある。
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人口湖パラノア湖沿いにゴルフ場がある。
休日を利用して、ブラジリアでゴルフをやったが、乾燥地帯のゴルフ場だけあって、グリーンには2~3本のスプリンクラーが設置してあり、常時水を撒いていた。パターの時は、プレィヤーの背中をスプリンクラーの水が直撃する時もあり、キャディーが持参の雑巾で散水を止めていたのが印象的だった。

1980年代後半は、首都の飛行場であってもまだタラップ式だった。
その後、空港も大きくなり、滑走路も増設して、タラップ式から可動式ボーディングブリッジに変更になり、今では国内線のハブ空港になっている。
サンパウロやリオに次ぐ大きな空港である。

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by wagahai_tt | 2013-03-20 01:15 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-58


ルス駅(Luz駅)

1984年に発行されたルス駅の切手です
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サンパウロの中央ターミナル駅となるルス(Luz)駅です。

サンパウロの中心部には、かつて長距離旅客列車が栄華を誇った時代の二つのターミナル駅が、今も近郊電車 (CPTM) の駅として使用されています。それがルス駅とジュリオ・プレステス駅です。
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ルス駅              ホーム

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ジュリオ・プレステス駅            ホーム

旧サンパウロ鉄道 (SPR: サンパウロ・レールウェイ) のターミナル駅であったルス駅。
サンパウロ鉄道はイギリス資本により設立された鉄道会社で、サントス~サンパウロ (ルス駅)~ジュンジャイ間を結んでいました。
その一部区間が現在のCPTM 10号線および7号線として使用されています。
イギリス風の大きな時計台が特徴的ですが、サンパウロ鉄道では、このルス駅以外でも多くの駅舎でイギリス風デザインが採用されています。
現在、駅舎内にはポルトガル語博物館 (ムゼウ・ダ・リングア・ポルトゥゲーザ) が設けられています。

1901年に創設したイギリス様式のこの駅は、歴史遺産に指定されており、修築工事をめぐって市・州・連邦政府の3つの遺産管理機関から工事反対意見が出たため、工事は見合わせられていた。サンパウロ州管轄の同工事は結局、工事計画案を変えることで解決策している。

3機関とはサンパウロ市歴史・文化・環境財産保護審議会(Compresp)、サンパウロ州歴史・建築・美術・観光財産保護審議会(Condephaat)、国立歴史・美術遺産院(Iphan)である。
セントロにあるクラシック・コンサート・ホールのサーラ・サンパウロは、ジュリオ・プレステス駅(Estação Júlio Prestes)に隣接しています。

コーヒーと鉄の運搬の目的で1925年に着工されたジュリオ・プレステス駅は完成までに13年を要したために、完成した1938年には、既に車文化の時代になっていたのです。
持て余した駅スペースの活性化の為に誕生したのが、「世界のオーケストラを招くことができる、ラテンアメリカ最大且つ最新のコンサートホール」です。
旧ジュリオ・プレステス駅に落成したコンサートホール「サーラ・サンパウロ」は、クラシック音楽ファンのみならず音楽愛好家にも大好評だ。

同駅は英国様式のルス駅に対抗してフランス建築芸術の粋を取り入れて建築されたのです。また椰子樹を植えた皇帝の庭園は、ファート侯爵が造成した歴史建造物です。
特に1,500人の聴衆を収容できる交響楽演奏用のコンサートホールが、注目を呼んでいます。天井は吊り天井で、音響効果を高めるため音楽と楽器によって高さを調節できる。
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コンサートホールの建築材料は木材、シートの布地、壁材、特等席の間取り、全て音響効果を生かすために材質と角度を計算して設計してあります。
コンサートホールのどこに座っても、立体音が全体へ響くように工夫されたので、これまで演奏会を催した世界の著名交響楽団が、コンサートホールの出来ばえを「音楽の髄ここに極まる」と絶賛したようです。

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by wagahai_tt | 2013-03-13 05:49 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-57


リオ・デ・ジャネイロ国立植物園

1985年に発行された植物園の切手です。
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植物園はポルトガル語でJardim Botânico と言います。

ポルトガル王、ジョアン6世によって西インド諸島などから輸入されるスパイスの栽培のために、1808年に設立された。初期の栽培植物はモーリシャスのパンプルムース植物園からLuiz de Abreu Vieira e Silvaによって運ばれた。園長は Carlos Antônio Napion (1808) やJoão Gomes da Silveira Mendonça(1808 -1819)らが務めた。1812年にはマカオから茶が運ばれ、その栽培のために中国人が雇われた。1822年のブラジル帝国の成立から一般公開が始まり、現在は12月25日と1月1日を除いて毎日公開されている。
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約1.4平方kmにおよぶ敷地に、600種のラン、サボテン、アマゾンの植物群や絶滅が危惧されている植物も含んだ約8000種の植物が生い茂る植物園。

1991年にユネスコにより生物圏保護区に指定されています。ブラジル各地の植物があり、珍しい物も数多い。堅くて水に浮かばないという鉄の木「ハフ・フェホ」、ブラジルの国名の由来となった赤い染料がとれる「パオ・ブラジル」などの木を探してみよう。

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また1935年に65種の日本特有の植物が贈与され造られた、日本庭園もぜひ訪問してみてください。

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植物園の入り口までの750mはブラジルの植物学者で園長を務めたジョアン・バルボーザ・ロドリゲスの名前の750mにわたるヤシの並木道が続いている。公園の40%だけが、人工栽培地で残りはマタ・アトランティカ(大西洋岸森林)の自然林である。公園はブラジルの国定歴史芸術遺産(Patrimônio Histórico e Artístico Nacional)として保護されており、1992年にユネスコに指定された。

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by wagahai_tt | 2013-03-08 04:00 | 切手 | Comments(3)

ブラジルの切手紹介-56


ブラジル軍服の変遷

1985年に発行されたブラジル軍の初期の軍服の切手です。

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f0096068_3543050.jpg 南米大陸13ヶ国の大半が19世紀前半に独立した南アメリカ諸国の軍服は、同時期のヨーロッパ諸国(特に旧支配国のスペイン、ポルトガル)のパターンをほぼ踏襲する形で出発した。
その後、特に陸軍の軍服においては主に以下の3国の影響を受け、これらの要素が混在しながら各国の軍服の個性を生かしていると言える。

フランスの19世紀中葉~同世紀末の軍服、
ドイツの19世紀末~第二次大戦前の軍服
アメリカ合衆国の第二次大戦後の軍服の影響を受けている。




ブラジル陸軍の軍服
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ブラジル海軍の軍服
海軍の軍服は、ほぼ一貫してイギリスの影響を受けたものであった。
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ブラジル空軍の軍服
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by wagahai_tt | 2013-02-27 04:05 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-55


サン・ジョアン・デル・レイ駅

1984年に発行されたサン・ジョアン・デル・レイ駅の切手です。
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オエステ・デ・ミナス鉄道は、ブラジル、ミナス・ジェライス州のサン・ジョアン・デル・レイからチラデンテスまでの12kmを結ぶ、観光用の保存鉄道である。1989年にブラジル国立歴史芸術遺産協会 (Iphan) により歴史遺産に認定された。

前身である軌間762mmの鉄道網は、地域の殖民に寄与する目的で1881年に敷かれ、1960年には一部が軌間1000mmに改軌されたが、残りの区間は1983年に放棄されたままであった。1980年代初期に、市民団体であるABPFの運動の結果、2つの歴史的な街を結ぶ区間が保存鉄道として復活した。ヴァーレの子会社であり、この地域の貨物鉄道を運営するFCA (中部大西洋鉄道) が実際の運行を担当している。4両の蒸気機関車が動態保存されている。
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サン・ジョアン・デル・レイの駅には博物館があり、軌間1000mmのものを含む機関車や客貨車が保存されている。また転車台や修理工場も併設されている。

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by wagahai_tt | 2013-02-20 03:58 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-54


カンピーナス農業組合

カンピーナス農業組合の100周年の切手です。
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カンピーナス(Campinas) は、ブラジル南東部サンパウロ州の都市。標高約700mの高原に位置する。サンパウロにつぐ同州第二の都市です。

当初カンピーナスは、ブラジルの奥地開拓者(バンデイランチス)の基地として建設され、カンピーナス・ヂ・マト・グロッソと名付けられた。最初の入植はフランシスコ・バヘット・レメ・ド・プラドの下1739年から1744年の間に行われた。
1797年には町に昇格し、名称もヴィラ・ヂ・サォン・カルロスに変更されたが、1842年に市に昇格した際にカンピーナスとなった。

初期のカンピーナスの主産業は農業で、肥沃な土壌を利用して主にサトウキビやコーヒーの栽培が行われていた。しかし19世紀後半に入るとコーヒーの需要が伸び、市の人口は飛躍的に増加した。空前のコーヒー景気の中1872年にはパウリスタ鉄道会社が設立され、カンピーナスはブラジル有数の大都市へと成長した。

下町のイペの街路樹
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20世紀に入って黄熱病が流行し、人口の3割を失う大きな打撃を受けたが劇的な復興を見せ、「不死鳥の町」として広く知られるようになった。

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by wagahai_tt | 2013-02-06 04:22 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-53


カイシャ・エコノミカ銀行

1986年に発行された、設立125年を記念する切手です

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CAIXA ECONÔMICA FEDERAL(カイシャ・エコノミカ・フェデラル)は、主に、州政府および都市のインフラ整備に関する融資も含めての企画、立案ならびに教育、医療、衛生関係、住宅取得への資金供給のほかに、個人ならびに民間生産部門への一般融資、年金基金と社会統合プログラム等を運用する最大の政府系金融機関であり、多くのブラジル人にとって欠かせない存在です。

CAIXA(カイシャ)は1861年1月12日に、預金の奨励と担保付貸付の提供を目的として、法令第2723号に基づきドン・ペドロ2世により設立されました。
これらのサービスは、他の金融機関と異なり、預金を保証するだけでなく、当時他の金融機関が行っていたような、借入人に対して法外な金利を要求する市場に対抗するためです。

CAIXAは、奴隷解放証明書の購入によって自由を手に入れようとしていた奴隷や社会的身分の低い人々が資金を集めるのを助け、これらの人々から大きな支持を得たように、CAIXAは設立当初から、社会問題に焦点を当ててきたのです。

今日では、CAIXAはラテンアメリカ最大の政府系銀行になっています。3,600以上の拠点を持ち、ブラジル国内5,564の市町村すべてにおいて、5,100万人のお客様にサービスを提供しております。

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ブラジル財務省傘下の100%政府系銀行として、CAIXAは公共政策、特に都市開発やインフラ整備、低所得者向けの社会プログラムの実施に際し、重要な役割を担うことを目指しています。政府によるBolsa Família(家族給付金)プログラムにおいては、CAIXAのネットワークにより、1,300万世帯が援助を受けています。このプログラムにより、2003年から09年の間に、2,400万人ものブラジル人が低所得層から中間所得層に上がることができました。

またCAIXAは、50年前に、BNH(国立住宅銀行)を吸収合併し、市場の74%を占める大規模な住宅ローン融資を行う一方、都市開発、特に上下水道の整備に関する投資信託も斡旋しています。

ブラジルの連邦貯蓄銀行(CAIXA)が浜松市に駐在事務所を開設しました
在日ブラジル人の生活向上を目的に当金庫と業務提携をしているブラジルの連邦貯蓄銀行(カイシャ・エコノミカ・フェデラル)が、2007年(H19年)2月8日浜松市(浜松センタービル7階)に日本初の駐在事務所を開設しました。
事務所には従業員2名が常駐し、将来の支店開設に向け、銀行免許取得の準備や市場調査を行います。

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開設記念式典には、両金融機関や県、浜松市、磐田市の関係者約50人が出席し、テープカットや鏡開きなどで開所を祝いました。
式典の様子は、モニター中継し本国ブラジルの連邦貯蓄銀行でも放映されました。

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by wagahai_tt | 2013-01-30 04:06 | 切手 | Comments(0)

ブラジルの切手紹介-52


サルト・デ・グアイラ

1982年に発行されたサルト・デ・グライアの切手です。

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サルト・デ・グアイラはブラジルとパラグアイの国境にある大きな滝です。

パラグアイの東北地方、パラグアイ国内ではブラジルの中央部サンパウロ等の主要都市に最も近いカニンデジュ県の県庁があるサルト・デ・グアイラ市は今パラグアイで一番注目されている街です。地理的にはブラジルへ近いので,アクセスが良くなれば、物流・観光の街に大変身する可能性を秘めています。

この街から南では大河ラプラタの本流パラナ河が両国の国境になっており、通行が非常に難しく約250キロ下流にあるエステ市とフォス・ド・イグアス市を結ぶ「友情の橋」 しかパラグアイ-ブラジル両国を結ぶ橋は無く、全てのものがここを通行するので非常に混雑しており、サルト・デ・グアイラを通るルートが新しい両国の交通のルートとなることが期待されています。

現在新しい橋が建設中であり、両岸の建設中のアクセス道路が出来た時にはこちらがアスンシオン-サンパウロのメインルートになることが予想されます。
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現在はパラナ河の両岸をバルサと呼ばれる簡易フェリーが結んでいます。車を載せているバウサを押し船が押していく方法です。
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パラナ河の川幅は非常に広く約5キロあり、30分で結んでいます。川岸には日本のような設備があるわけでなく自然の土に船の先を突っ込むという方式で接岸します。

パラナ河をはさみ対岸はブラジル・グアイラ市となっています。グアイラ市は緑の多い静かな美しい街で、ブラジルらしい良さを持っている街です。フォス・ド・イグアスまでの途中にはドイツ系の街が点在しており、奇麗なホテルなどもあり、隠れた観光スポットと言えます、このホテルは夫婦で朝食付きで4千円、昼のシュラスコ(ブラジル風バーベキュー)が一人千円というサンパウロから見ると夢見たいな価格です。

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by wagahai_tt | 2013-01-23 03:01 | 切手 | Comments(0)