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ブラジルの切手紹介-25

Mangalarga Marchador馬
Mangalarga Marchador馬の切手です。
Mangalarga Marchadorは馬の種類です。 ブラジル には350,000頭以上の公認のMangalarga Marchador馬がいるようです。
この馬はイベリアの種類であるポルトガルの牝馬のAndalusian馬の血統を引いていて、馬術馬や牧畜馬として使用されているようです。

Campolina 馬
Campolina馬の切手です。
Campolinaは馬の種類で、この馬を開発した農民のCassiano Campolinaの名前にちなんで命名されました。この馬は1870年からいくつかの異なる種類の馬を掛け合わせて開発したもののようです。Campolinaはブラジルで主流の馬種で、レジャー乗馬や馬術競技に使用されているようですね。

馬の事は良く分からないが、ブラジルにも改良された独自の馬がいたようですね。



# by wagahai_tt | 2012-05-23 02:45 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-24

労働者の日(メーデー)

労働者の日の切手です。
労働者の日となっているメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求の統一ストライキを行ったのが起源。
1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」を目標に行なわれた。

ブラジルでも、5月1日は労働者の日として組合デモが行なわれていた。
ブラジルの労働組合は企業内組合ではなく、シンジケートの業種連合労働組合になっている。
当時は私もベースアップの労使交渉に何度か出席したが、各地の組合から組合員代表が50人以上参加しているが、会場も狭く全員が入る事が出来なかった。我々企業側は12~13社の代表の参加で、数では組合側に圧倒されていたが、昇給条件は厳しく提示していた。
企業側には中小零細企業から大企業まで様々であり、各社の財務状態にも差があるので、極力中小零細企業側の立場で交渉に当たっていた。

我社は5月1日に全社員とその家族又は友人1名を対称に招待を許可して、会社敷地内にある二面のサッカー場を使ってサッカー大会を中心に、ダンス、マラソン、卓球、バレーボール、ダーマなど、各職場を代表した部門対抗の社内大会を開催していた。
(上空から見た2面のサッカー場)

毎年イベントへの参加者は2,000人程であったが、2,000人の昼食用の食材であるバーベキューセットや飲物を手当てするのに担当社員は大変苦労していた。








       
当日は、取引銀行や取引企業など景品を提供してくれていた取引先を招待し、焼肉や冷えたビールなどで接待していた。

社内イベントを5月1日に行なっていたのには、年1回のイベントで社員への感謝の気持ちと、組合活動であるデモンストレーションよりも、社内のイベントに社員の目を惹きつけて置く意味合いもあった。




# by wagahai_tt | 2012-05-16 04:11 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-23

女性参政権  

1983年に発行された女性参政権付与の切手です。

ブラジルで女性に参政権が付与されたのが1934年、男性より50年遅れでした。
女性参政権付与を記念して、何故か1983年に発行されたCr$130,00の切手です。

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)であった。しかし、フランス革命当時の欧米と同じように、参政権が付与されたのは男性のみであった。

1945年11月21日には、まず、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められた。次に、同年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められた(地方参政権は翌年の1946年9月27日の地方制度改正により実現)。1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生した。
日本はブラジルの女性参政権付与から遅れること11年であった。




# by wagahai_tt | 2012-05-09 03:37 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-22

感謝祭   

1982年~1985年にブラジルで発行された感謝祭の切手です。





























感謝祭(英語: Thanksgiving Day)は、アメリカ合衆国とカナダの祝日のひとつであるが、ブラジルのカトリック社会でも収穫に感謝する日(O Dia de Ação de Graças) があります。

Thanksgivingと略称されたり、あるいは七面鳥の日(Turkey Day)と呼んだりもする。

アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日になっています。
日本のプロテスタントでは収穫感謝日と呼んでいるようですね。




# by wagahai_tt | 2012-05-02 03:28 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-21

ユニセフ

ユニセフ加盟の切手です。

国際連合児童基金(United Nations Children's Fund:略称はUNICEF(ユニセフ))は、1946年12月11日に設立された国際連合総会の補助機関で本部はニューヨークに置かれています。




緊急援助が行き渡るのにしたがって次第に活動範囲を広げたことで、1953年に正式名称が現在のものに変更されました。開発途上国や戦争や内戦で被害を受けている国の子供の支援を活動の中心としているほか、「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の普及活動にも努めています。

かつては、物資の援助中心の活動であったUNICEFであるが、生活の自立がなければ無限に援助しても状況は変わらないとの発想のもと、親に対する栄養知識の普及などの啓発活動にも力を入れています。

公益財団法人日本ユニセフ協会は、東京都港区高輪に本部を置く日本の公益財団法人です。(英語名は the Japan Committee for UNICEFF。別名としてユニセフ日本委員会を用います。)
36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国際連合児童基金 (ユニセフ) の日本事務所ではありません。
日本ユニセフ協会では本部以外にも各地に活動拠点を設置しており、19ヶ所に道府県支部、6ヶ所に友の会、1ヶ所に募金事務局が設立されています。




# by wagahai_tt | 2012-04-25 04:58 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-20

パンタナール
 
野生動物の宝庫、パンタナールの切手です。


パンタナールはブラジル・ボリビア・パラグアイの3国に跨り、23万平方キロの面積があり日本の本州に匹敵する湿地帯です。この湿地帯パンタナールを取り囲むようにセラードと呼ばれる乾燥地帯が広がっています。
   













パンタナールには、ワニ・バク・オセロットネコ・タテガミ狼・アリクイ・フクロウ・カピパラやアルマジロなどの野生動物や650種とも言われる野鳥の宝庫であり、又アマゾンに匹敵する大自然でもあるが、アマゾンと違った自然に触れる事が出来る場所です。

    









以前1989年8月に家族で北パンタナール(マットグロッソ州)を訪問したことがある。








   
その時はピラニア釣りをやり、釣ったピラニアを刺身で味わい、又焼いて味わったことがある。ピラニアも種類が多く北パンタナールのピラニアは全長30cmで腹厚5cmはある大きなピラニアだった。
  
2006年9月には南パンタナール(マットグロッソ・ド・スル州)を訪れ、気温45℃の中で再びピラニア釣とワニとの戯れを楽しみながら大自然を満喫しました。











# by wagahai_tt | 2012-04-18 04:29 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-19

マラジョー島

マラジョー島を代表するバッファロの切手です。

アマゾン河口の川幅は対岸まで約400kmあり、その中に九州よりやや大きい面積の中州マラジョー島が浮いています。

マラジョー島は、パラ州で最も有名な観光スポットであり、世界で一番大きい中州と言われ、アマゾンのエコツアーの代名詞的な場所でもあります。
50,000km²の面積の島で川に面した海岸の他、カナヴィアナ島、メシアナ島など美しい自然が広がっています。

マラジョー島には白人とインディオの混血の人が多く、そのため未だにインディオやポルトガル人の文化が生活習慣に残っています。

   



















バッファロ(Bufalo=水牛)は、警察が馬の代わりにバッファロに乗って巡回するなど、マラジョー島では重要な乗り物のひとつになっています。
島はテゾ(Teso=雨季でも水を被らない部分)とイガラポス(Igarapos=雨季には水没する部分)に別けられていて、茶色の水の色と岸が一体化した光景は不思議な雰囲気を作り出します。

      









川岸のマングローブ、海岸、ファーム、植物、動物、そして現地独特のフォルクローレ(民族音楽)、料理、文化がマラジョー島の見どころです。









  
更に、熱帯らしい夕景や水辺の家屋や生活も垣間見る事が出来ます

マラジョー島には様々な動物が見かけられ、中でもナマケモノ、真っ赤なグアラー、ツイウイウー、サラクラ、メヘッコ(コガモ)、パパガイオ(オウム)やアララ(コンゴウインコ)などが人気です。






またカニや魚が多く捕れ、ツクナレ(tucunare)、ピラルクー(pirarucu=世界最大の淡水魚)、タムアター、パクー、ドゥラーダ、ペスカーダなどは地元料理によく利用されています。











ツクナレ                    ドゥラーダ

マラジョー島へのアクセスは、空路または水路のオプションがあり、空路はセスナで1時間~2時間の飛行で到着し、また水路のオプションでは、定期便の船でヘッジ(ハンモック)を吊って寝ている間に到着することもできます。

マラジョー島には色んなホテルやポゥザーダがあり、なかでもソウレ(Soure)、サゥヴァテーハ(Salvaterra)、ポンタ・デ・ペドラ(Ponta de Pedra )やブレベス(Breves)にある宿泊所の設備がもっとも整っています。





# by wagahai_tt | 2012-04-11 06:51 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-18

キリスト復活祭

サンパウロ美術館(MASP)が所蔵している画家ラファエロ・サンティが描いたキリスト復活祭の切手です。














ブラジル国内の各地に点在する教会は、歴史的にも建築的にも素晴らしいものです。








 
サンパウロ聖教会           ベレン聖教会

歴史の町バイア州サルヴァドールにある教会です。








 
ボンフィン教会        サンフランシスコ教会

ラファエロ・サンティ(Raphael Sanzio: 1483年4月6日 - 1520年4月6日)は、イタリア、マルケ州ウルビーノに生まれ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、西洋絵画の古典として後の世代の画家に多大な影響を与えた、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家です。

代表作『アテナイの学堂』は、バチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの「署名の間」を飾る壁画で当時のローマ教皇ユリウス2世の委嘱を受けて制作したものです。




# by wagahai_tt | 2012-04-04 04:32 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-17

ブラジルの農業調査

種子遺伝子調査 の切手です。














熱帯栗調査 の切手です。













実際のカスターニャ(栗)は非常に硬い殻の中に30粒程の硬い皮に包まれたナッツが入っています。

  







カスターニャ・ナッツやブラジリアン・ナッツとも呼ばれるアマゾン熱帯雨林の中に自生する栗で、現地では人気の高いナッツです。

熱帯大豆調査 の切手です。














アマゾンの荒廃地を再開墾して整地した植林地の植林木の間に植え付けたフェィジョン(大豆)です。(アグロフォレストリーの一例です。)










1500年代にポルトガルの植民地になってから、1930年代後半まで、ブラジル経済は第1次産業の輸出に依存し、ポルトガルは、ブラジルを原料供給地と位置づけていました。

また、1950年からの55年間に、ブラジルの人口は毎年2%の割合で増加したので、食料需要の増大に伴う農業生産の強化策を推進する必要があったので、その当時は農地の拡大の理由により、アマゾンなどの森林地帯を農地へ転換するための環境破壊が容認されていたのも事実です。

未開拓地の農地転換や農牧研究公社による種子の開発などによって、ブラジル農業は発展してきました。1990年代に入ると、ブラジル経済の自由化による穀物メジャーがブラジル参入などの新たな動きも見られた。これらの動きはブラジル農業を活性化に導き、2005年の世界の農産物輸出において、ブラジル農業は、世界の上位5位に入る程の成長を見せています。



# by wagahai_tt | 2012-03-28 11:35 | 切手 | Trackback | Comments(0)
Asfloraの活動報告




Asflora活動報告を紹介します。

    第22回Miyawakiプロジェクト植樹祭
                     2012年3月3日

Asflora(アマゾン森林友の協会)と三菱商事株式会社、エスペジット・リベイロ入植者協会(ATRAER)は、2012 年3月3日(土)、サンタ・バルバラ市(郡)のエスペジット・リベイロ入植地で、「第22回東アマゾン熱帯林再生実験(通称 Miyawaki プロジェクト)」植樹祭を行いました。
植樹地は、ベレン市から東南へ50km、モスケイロ島への街道から右折し、ジェニパウーバ街道から入ります。車でベレンから1時間で到着しました。今回の植樹地は、同地で年末に行ったクリスマス植樹祭植樹地(9千本植樹済)と、小川を隔てた対岸に位置します。 ここは、6年前から開拓の始まった入植地の水源地です。 自然林が保全されてはいますが、開拓と共に狭まっています。昨年は、幹線道路が水源地を横切り、土砂が小川に流入、水が濁って水量も減ってきてしまいました。Asfloraでは、イオン環境財団、EFF(NPO地球と未来の環境基金)・緑の募金の助成を受けて、4年前から、この水源涵養林を保全し拡張するように努めてきました。 今回は、三菱商事株式会社とAsfloraの共同事業「第22回東アマゾン熱帯林再生実験」(Miyawakiプロジェクト)を同地の水源林づくりのために行いました。 5,000本(40余樹種)を2,000m2に植え付けの始まりです。
参加者は200名、サンタ・バルバラ市役所教育局長、在ベレン日本国沼田総領事、日系三団体(汎アマゾニア日伯文化協会、アマゾニア日伯援護協会、パラ州日伯商工会議所)、アマゾン群馬の森の各代表、隣接アブレウ・ベルメーリョ入植地協会の代表、近隣小学校3校の生徒、教員、NGOカーザ・ダ・ボア・エスペランサ代表、瀬古耕平氏他が参加しました。前日の豪雨で、田舎道がぬかるんだため、生徒たちを集めるために送ったバス2台がスリップして動けなくなり、100人が途中で引き返していました。












植樹祭は来賓挨拶の後、クルピーラによる植樹指導で始まりました。











植樹地には、全面的に堆肥が施され、朝早くから入植地の人たちと、前日から当地で体験研修を始めた東京農大国際農業開発学科の学生4名が植え穴掘り作業に汗を流しています。上右の写真は、その学生4名(男女各2名)と、植樹祭に加わった東京農工大の学生(右端)1名です。











写真左、左から沼田総領事、坂上氏(文協)、山本氏(商工会議所)、近藤社長(伯三)
写真右、植樹中の沼田総領事(右)、昨年末もこの水源の森つくり植樹祭に参加して下さいました。










植樹を始めて1時間後、植樹した箇所を全員で囲んで、恒例のViva Natureza!(自然万歳!)










植樹後、入植地公民館で参加者に地元婦人会によって全員にランチが配られました。
また、沢山のランブータン、マンゴスチン、それに珍しいランサ、ドリアンを瀬古農園の差し入れがあって、熱帯果樹を思う存分に味わえました。

ブラジル三菱商事の近藤社長とCSR担当の長谷川さんから、市の教育課長を通して植樹祭に来てくれていた各学校代表者に6冊のポルトガル語版日本百科事典の寄贈がありました。貧しい開拓部落で、とてもリッチな日伯交流素親睦会が出来ました。(右上写真)
植樹祭の準備に携わった関係者、参加者の皆様、どうもありがとうございました。

ここの水源の森づくりは、2008年12月から始め、7箇所目になりました。
本年から、農工大によるJICA草の根プロジェクト「アグロフォーレストリー普及」での協力も得られるようになりました。 部落の人たちと共に、本物の森、全ての命を守る森を育みつつ、持続可能な農業が根付くように努めてゆきたいと思います。

ASFLORA‐Instituto Amigos da Floresta Amazônica
Presidente:Takushi Sato
Vice-Presidente: Shoji Yamanaka
Coordenadora: Marluce Amorim




# by wagahai_tt | 2012-03-21 06:03 | Asflora | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-16

タンクレッド・ネーヴェス大統領

1985年に発行されたタンクレッド・ネーヴェス大統領の切手です。

タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェス(Tancredo de Almeida Neves、1910年3月4日 - 1985年4月21日)は、ブラジルの政治家で第30代ブラジル連邦共和国大統領です。

ブラジルのミナス・ジェライス州出身で、1985年1月、国会議員を中心とする間接選挙で連立野党の候補者として出馬し74歳で大統領に選ばれた。


民主化後の21年ぶりに軍政から民政になった文民大統領 であるため国民から期待されたが、1985年3月14日の大統領就任式前夜、数ヶ月わずらっていた消化器官の病気のため教会のミサ中に倒れ急遽ブラジリアの病院に担ぎ込まれた。

社会現象になるほど国民が心配し見守る中で7回の手術を受けたが、5週間後にサンパウロで死去した。









政権発足時、副大統領であったジョゼ・サルネイが大統領に就任して、5年間(1985年~1990年)政権を担当した。
ジョゼ・サルネイは、ブラジルの政治家、詩人、ブラジル文学協会会員であったが、不人気な大統領として知られている。
マラニョン州出身。軍事政権時代にはブラジル民主運動党に属していたが、1985年の大統領選挙のときには民主社会党から副大統領に立候補している。

タンクレード・ネーヴェスが大統領就任式前夜、数ヶ月わずらっていた病気のため急きょ病院に担ぎ込まれたため副大統領のサルネイが大統領代行となり、5週間後ネーヴェスが死去した後、そのまま大統領に就任した。就任に当たっては、新憲法を立案する議会召集のための総選挙を行い18ヶ月の審議の後、新憲法が発布された。

政策では累積債務対策と経済再建策で失敗し1987年2月に中長期債務の利払い中止(モラトリアム) の宣言を行ったことで、国際的信用を失った。
1989年1月に再びインフレーション抑制策を発表したが失敗する。





# by wagahai_tt | 2012-03-14 04:39 | 切手 | Trackback | Comments(1)
ブラジルの切手紹介-15

ジェツリオ・ヴァルガス大統領

1984年に発行されたジェツリオ・ヴァルガス大統領生誕100年の切手です。











ヴァルガス時代には大学の整備、国家主導の工業化、ナショナリズムの称揚と移民の同化政策、中央集権体制の確立が進んだ。







ジェツリオ・ヴァルガスは1930年から1945年までの15年間と、1951年から1954年までの3年間の合計18年間、ブラジルの大統領を務めました。

彼は1882年にブラジルの最南端のリオ・グランデ・ド・スル州サン・ボルジャ (São Borja)という小さな町に生まれた弁護士で、当初はPRR(共和党)の党員で、その後は、PTB(労働党)に所属し、州議会議員、連邦議会議員を経て、1926年から1927年には大蔵大臣を務めています。

1930年の大統領選挙で敗れたのですが、当時の政治腐敗などの不満を背景に軍事クーデタを成功させて政権を掌握し、1934年には議会から認められて正式に大統領になり、1937年の大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行ったようです。

当時のジェツリオ・ヴァルガス大統領(左)とフランクリン・ルーズベルト米大統領です。

政権末期は国民解放党(共産党)に接近した。

1954年にはこれに反発を抱いたアメリカ合衆国から独裁政治を糾弾される。

また、反大統領の姿勢をとるジャーナリスト暗殺計画などへの関与も疑われ、ヴァルガスへの退陣要求が強まった。
こうした中で1954年8月25日にヴァルガスはピストル自殺を遂げた。





# by wagahai_tt | 2012-03-07 06:04 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-14

マナウスのフリーゾーン(免税都市)

マナウス免税都市の切手です。
アマゾナス州の州都マナウスは、大西洋へ流れ込むアマゾン川の河口の街パラ州の州都ベレンから、約1500キロ上流のアマゾン河本流と支流ネグロ河の合流地点に位置しています。19世紀には天然ゴムやコーヒー豆、ジュート(麻)栽培の集積地として開かれて以来、アマゾン内部の経済、交通および流通の中心都市として繁栄して来ました。現在の人口は約150万人で、ブラジルのアマゾン地域最大の都市です。アマゾン地域の多くの国立公園、環境保護区に隣接している為、アマゾン観光の中心地としても有名です。また、旧市街地には開拓時代に建設された、ヨーロッパ風のコロニアル調の建物が多く残っており、メルカード(市場)には、亀や野ブタ、ピラニアなどの食材が所狭しと並んでいます。

支流ネグロ河から見たマナウス。
市内には世界有数の高級ホテルがあり、ネグロ河に面したマナウス港は、観光客や商人たちで活気に溢れています。郊外に一歩足を延ばすと、広大な牧場で牛がのんびりと草を食み、更にその先に足を延ばすと、「緑の魔界」と恐れられるジャングルが、圧倒的な勢いで迫って来ます。

雨季の増水に備えて約20mの足場の上に建っている、7階建てのアリアウタワーホテルの乾季の状態です。








    
アマゾン河は雨季と乾季の水量の増減が激しく、マナウス港の浅橋は、最大16メートルまで上下する浮浅橋構造となっています。浅橋には日用雑貨などを積み込んで、流域の集落を行商するレガトン船、フェリー、漁船、アマゾン探検船などがひしめき合っています。中でも特に人目を引くのは、アマゾン流域を廻る水上定期バスや、上中下3層構造の木造客船のガイオラ船。そのガイオラ船が到着すると、浅橋の周囲は、水上マーケットのような賑わいを見せており、魚や果物、民芸品や日用雑貨などを積んだカヌーや、水上タクシーなどが集まって来ます。

また、1967年にはマナウスフリーゾーン(免税都市)に指定された為に、日本など各国からの進出企業が目立っている地域です。
マナウス市内で消費される物品は輸入税等が免税で取引され、フリーゾーンから他地域や他州へ持ち出す時点で課税されます。
各国のメーカーが自国から生産部品等を輸入する場合は免税であり、完成品を販売時に課税対象となる仕組みなので、各国からの進出企業が多く集まっています。



# by wagahai_tt | 2012-03-01 04:51 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-13

サン・フランシスコ教会

サン・フランシスコ教会の切手です。










現在のサン・フランシスコ教会です。
フランシスコ教団の僧侶たちによって18世紀初頭(1708年)にバイア州サルヴァドールに建設された教会です。








教会正面
サン・フランシスコ教会の正面には複雑な彫刻が施されていて、ブラジルにおけるバロック建築の最高峰とされています。
バロック建築は1590年頃から盛んになった建築様式で、建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めた様々な芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴としています。特に内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際立った特色となっています。
バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)といわれ、元々は一部に見られるグロテスクなまでに装飾過剰で大仰な建築に対する蔑称であったが、のちに広く17・18世紀の美術・建築に見られる傾向を指す様式概念として用いられるようになったようです。
バロック建築は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった総合芸術となっていることを特徴としています。

タイルパネル
教会内部のタイルパネルは、聖フランシスコの誕生と、物欲を捨てるという強い志を物語っているそうです。







# by wagahai_tt | 2012-02-22 06:24 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-12

ミナス・ジェライスの反乱

1985年に発行されたミナスの反乱博物館の切手です。

ブラジルの歴史では、1789年に、後世言われる「ミナスの陰謀」 の発火点となったミナス・ジェライス出身のチラデンテス が指揮したこの反乱は、ブラジルで起こったポルトガルに対する最初の独立運動で、チラデンテスの試みは失敗に終わったものの、1831年に実現するブラジルのポルトガルからの独立の端緒を生じせしめたことで知られ、地域の生んだ英雄として街の中心広場に博物館として名を遺しています。




4月21日 はブラジル独立運動の志士、チラデンテスが処刑された日で、ブラジルがポルトガルから独立した後、英雄そして独立の殉教者として記念された祝日です。

「Tira(チラ)」とは「抜く」、「Dentes(デンチス)」とは「歯」のことで、あわせて『歯を抜く』という意味になります。彼の本名は、ジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャヴィエール(Joaquim Jose da Silva Xavier)で、彼は歯医者で歯を抜くことが上手かったのでこのあだ名が付いたのです。

彼は1756年にミナス・ジェライス地方のサンジョアン・デルヘイに生まれたが、この時代はポルトガルによる植民地支配の中で、貿易の独占や過酷な税金の取り立てなどで、ブラジルの人々は大変圧迫されていた時代で、特に金鉱を抱えるミナス地方には強い圧力をかけられていた時代です。

18世紀頃中頃、フランスの思想界において生まれた自由平等の思想が、ヨーロッパから帰った進歩的な留学生などからブラジルにもたらされ、さらに1776年7月4日には北アメリカが独立を宣言し民主主義国家を誕生させたことは人々に独立への情熱を沸き立たせました。

1789年ミナス・ジェライスのヴィラ・リーカで同志と共に革命が計画され、サンパウロでも同時に決起するという手はずとなっていたが、同志ジョアキン・シルベーリョ・ドス・ヘイスの裏切りにより事前に発覚して失敗し、首謀者はことごとく逮捕された。

3年にも及んだ裁判の結果、捕らえられた首謀者集団の中でもっとも身分が低かった彼のみが革命の全責任を負って1792年の4月21日、リオ・デ・ジャネイロのサン・ドミンゴス刑場にて処刑された。彼が絞首台に立ったとき、「自分は人間が求める自由のために死ぬ」と言ったと伝えられています。この事件は「ミナスの陰謀」と呼ばれ、ブラジル最初の独立運動となり、ブラジル独立の気運を盛り上げていくことになった。

4月21日はチラデンテスの記憶を後世に残すために国民の休日になっています。




# by wagahai_tt | 2012-02-15 04:51 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-11

ブラジル奥地探検隊

1984年に発行されたブラジル奥地探検隊の切手です。

17世紀中頃、サンパウロに拠点を置いていた奥地探検隊バンデイランテス (Bandeirantes) は、サンパウロの奥地に建設されつつあったイエズス会の教化集落を襲撃し、住民であるインディオを奴隷として海岸部のサトウキビ農園へと売却して行ったが、その過程で奥地の開発が進められ、サンパウロの重要性は徐々に上昇していった。また、イエズス会はスペインの支援を受けていたが、バンデイランテスによって撤退を余儀なくされ、その土地にバンデイランテスが進出することによって、1494年のトルデシリャス条約で決められた境界線を遥かに越えて西方に拡大した実効支配領域を、友好国イギリスの後押しを受けて、スペインにポルトガル領と認めさせてきた。


1777年にポルトガルとスペイン間で締結された「サンイルデフォンソ条約」 で、最終的にブラジルのスペイン植民地に対する境界線がほぼ現在の姿になった。

その後もバンデイランテスの活動は続き、1693年には現在のミナス・ジェライス州で金鉱を発見し、これがブラジルの発展のきっかけとなった。しかし、金を求めてやってきた山師たちと、金鉱を発見したサンパウロ市民との対立は悪化し、1708年にはエンボアーバ戦争が勃発。サンパウロは敗れ、ミナス・ジェライス地方の開発権を失った。しかし、サンパウロの開発方向は西へと向かい、ゴイアス州やマトグロッソ州方面の開発拠点となっていった。

尚、南米大陸には、フランス領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ブラジルの13カ国がある。その中でフランス領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ブラジル以外の9カ国はスペイン植民地時代の歴史を持っています。





# by wagahai_tt | 2012-02-08 04:32 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-10

ブラジル発見

1984年に発行されたブラジル発見の切手です。
1500年4月22日は、ポルトガル人ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Alvares Cabral)がバイア地方の南の海岸に到着しポルトガル領を宣言した日です。

ブラジルを発見したカブラルは大陸を島と誤って認識し、「ベラ・クルス島」と命名しました。間もなくマヌエル1世によって「サンタ・クルスの地」と改められ16世紀中頃まで使われていました。

しかし、発見当時から大量に自生していた赤色染料の原料になる“ブラジルの木” パウ・ブラジル   (Pau-brasil)のイメージがヨーロッパの人々にとって強い印象を与えていたようで「ブラジルの木の地」などと呼ばれるようになり、他の呼び方をおさえて今日の国名 「ブラジル」  になっています。

当時のヨーロッパでは、赤色は高貴な色として珍重されたが、人工的赤色がまだ無い時代で、赤色の染料は自然界から採取していたため、パオ・ブラジルの芯材から赤い色素(ブラジリン)を抽出し、これを赤色の染料として用いていました。

ブラジルという国名の由来にもなったパウ・ブラジルは、木質は堅く、木目は締まっていて、色は赤で非常に奇麗な艶のある色をしているので、楽器・建築資材・赤色染料として、多量に伐採されてヨ-ロッパに持ち込まれたために、現在では歴史を物語るこの樹木の原生林を見ることが出来なくなっています。




# by wagahai_tt | 2012-02-01 06:39 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-9

世界食糧計画(WFP)
1983年に発行された世界食糧計画(WFP)の切手です。















WFPは1961年に国連総会と国連食糧農業機関(FAO)総会の並行決議によって設立され、ローマに本部を置く食糧援助機関。食糧欠乏国のほか、天災などの被災国への緊急食糧援助も行い、農林業地の開拓や道路建設といった経済社会開発事業にもかかわっています。75年に国連総会が設置した国際緊急食糧備蓄(IEFR)の運営も行い、年間約50万tの穀物の分配を主管しています。主要運営機関は30カ国で構成する食糧援助政策・計画委員会(CFA)。財源は国連加盟国の自発的拠出金・拠出物資・提供役務によって賄われています。2005年の援助実績は、世界の9700万人に対して食糧420万t、金額にして約29億ドルです。

WFP 国連世界食糧計画日本事務所は1996 年10 月、横浜市に開設されました。日本政府との連絡業務、企業や各種団体・NGO との協力関係の推進、および広報活動を行っています。日本はWFP の主要拠出国の一つです。2010 年は2 億 1400 万ドルを拠出、世界第4 位の支援国として世界中のWFPの活動を支援しました。日本人職員も年々増え、2011 年4 月末現在で71 人がアジア・アフリカなど世界各地の事務所に勤務しています。

近年の日本政府からのWFPへの拠出金額は以下の通りです。
2002年 : 約9,290万米ドル
2003年 : 約1億3,000米ドル
2004年 : 約1億3,573万米ドル
2005年 : 約1億6,053万米ドル
2006年 : 約7,119万米ドル
2007年 : 約1億1,874万米ドル
2008年 : 約1億4,306万米ドル


# by wagahai_tt | 2012-01-22 05:11 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-8

FIFA80周年記念
1984年にFIFA80周年を記念して、ブラジルで発行された切手です。

国際サッカー連盟( Fédération Internationale de Football Association)は、サッカーの国際統括団体です。略称はFIFAで本部はスイスのチューリッヒにおかれている。
競技団体としては世界最大であり、FIFAワールドカップの主催がもっとも大きな任務となっています。


1904年5月21日にオランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、ドイツ、デンマーク、フランス、ベルギーの8カ国で創立した。

2011年にはなでしこジャパン がワールドカップで優勝して世界一の快挙を挙げた。

2012年現地時間1月9日(日本時間10日)にFIFAは、スイスのチューリッヒで年間表彰式を行い、なでしこジャパンの澤穂希が女子FIFAバロンドールを受賞した。アジア人選手が同賞を受賞することは、男女を通じて史上初の快挙です。








更に、FIFA女子最優秀監督賞になでしこジャパンの佐々木則夫監督が選出された。日本人監督が選出されたのも史上初の快挙です。



# by wagahai_tt | 2012-01-15 05:38 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-7

ブラジル予防接種
はしか予防接種
はしか予防接種の切手です。










子供の予防接種
子供予防接種の切手です。










ブラジルでの子供の予防接種とその時期
種類 接種時期(生後)
B型肝炎     2ヶ月、4ヶ月、6ヶ月
BCG        1ヶ月
ポリオ・DPT    2ヶ月、4ヶ月、6ヶ月・・・
髄膜炎      2ヶ月、3ヶ月、9~10ヶ月・・・
はしか      10ヶ月
MMR       12ヶ月

BCG、ポリオ、はしか、DPTの予防注射は、市の施設で受ければ無料です。
市の施設は、今では針もちゃんと使い捨てのものを使ってくれるので安心です。

1997年2月 に我社の全従業員約1,000人を対象に黄熱病予防接種 を行った時は、会社まで出向いて来た市の保健所職員が一本の針を20人程度に使い回しをしていたのには驚いた。当時はアマゾンにはまだ使い捨て注射針が無かったのか、また保健所職員ですら衛生観念が無かったのかは分からないが、こんな時代もありました。


# by wagahai_tt | 2012-01-10 05:38 | 切手 | Trackback | Comments(0)
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