百円札


ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(142)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

300.            百円札

今では殆ど見ることが出来なくなったが、我々がまだ少年時代に流通していた百円札です。ブラジルから引き揚げた時の引っ越し荷物の中から出てきたもので、赴任時に持って行っていたのであろうと思うが失念していました。

百円札表
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百円札裏
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表の肖像画は板垣退助です。
板垣退助は自由民権運動の主導者として知られ、生存時、一般庶民から圧倒的な支持を受けていた。没後も民主政治の草分けとして人気が高く、第二次世界大戦後は50銭政府紙幣、日本銀行券B100円券に肖像が用いられた。
天保8年4月17日(1837年5月21日)、土佐藩士・乾正成(300石、馬廻格)の嫡男として、高知城下中島町(高知市中島町)に生まれた。同藩士の後藤象二郎とは幼な馴染みである。坂本龍馬等の郷士よりも恵まれた扱いを受けていた(のちに板垣家と坂本家は親戚関係となる)
明治2年(1869年)、板垣退助は木戸孝允、西郷隆盛、大隈重信と共に参与に就任する。明治3年(1870年)に高知藩の大参事となり「人民平均の理」を発し、明治4年(1871年)に参議となる。1873年(明治6年)に征韓論を主張するが欧米視察から帰国した岩倉具視らの欧米諸国家との国際関係を配慮した慎重論に敗れ、新政府は真っ二つに分裂。板垣は西郷隆盛らとともに下野した。(明治六年政変)
1874年(明治7年)に愛国公党を結成し、後藤象二郎らと民選議院設立建白書を建議したが却下された。また、高知に立志社を設立した。1875年(明治8年)に参議に復帰し大阪会議に参加したが、間もなく辞職して自由民権運動を推進した。



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by wagahai_tt | 2014-04-09 03:39 | Comments(0)
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