ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(51)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

118. 1984年、赴任の時から住み始めた11階建てアパート、アタライア・ドォールで最初に親しくなったブラジル人の友人。
   
f0096068_684265.jpg当時このアパートはポツンと孤立していたが、今では周りが全てアパート群になっている。
ブラジルのアパートは一階には居住区間は無く、ポルテーロ(門番)や集会場があり、居住区間は日本の2階から上となっている。
従って、2階部分を1階と呼び、1階部分をテーハ(地上)と呼んでいた。
我々家族は5階に住んでいたので、日本では6階部分に当たることになる。
窓からは街路樹のマンゴ並木の頂上部分が見える高さで、この辺りまで蚊が入ってくる高さだ。
   

駐車場はアパートの地下に各アパートのルームナンバーを付した一台分の駐車スペースがあった。
 
たまたま同じアパートの同じ5階に住んでいたのが切欠だが、それだけでは中々友人にはなり得ない。
   
f0096068_6132862.jpgアパートでは住人の子供の誕生パーティーを1階フロアーの集会場や裏の広場で行う習慣があった。誕生日のケーキも日本のように丸くなく、  
長方形の大きなケーキ が二個並べて置いてある。



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同じ年頃の子供がいる我々家族にも招待状が届いたので、子供たちを連れて喜んでお祝いに駆けつけた。
子供達にとっても初めての経験で、大はしゃぎでダンスに参加していた。
このようなパーティーで初対面の参加者住人も、お互いに話し始めて親しくなるのが一般的だ。
   
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このアパートは裏庭に子供達の遊び場や住人同士が楽しむ多目的コート があり、バレーボールやフットサルなどで楽しんでいた。
   
そんな中で日本食の好きなブラジル人の奥さんが、家内に天婦羅の作り方を聞いてきたので、後日家内が実際に天婦羅を作りながら作り方を教えた。
このことが家族同士の付き合いの始まりとなった。
やはり何か切欠がないと、海外では言葉も通じ難く友達になるのは難しい。
   
その後、私の家族は帰国し単身赴任となり、彼女の家族も引越をしたので音信不通の時期もあったが、ある時彼女から日本に電話があり、現在の住所や電話番号も判り、10年後家内の二度目の渡伯で再び交流が始まった。

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そんな時、ホームパーティーに招待されて彼等の家族とも再会したが、当時小さかった子供たちが、見上げるほどの体格になっていたのには驚きと共に時間の経過を実感した(年を取ったもんだなぁ~)。
肉食が多いブラジルでは子供達の体格も大きくなるものだ・・・。

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今は我々も帰国して数年経つが、2008年に家内がアマゾンを訪問した時に再会した彼女の現在。
住む国は違うが、これも記憶に残る思い出となっている。
(アパートでの写真は、25年も前の事なので写真も古いが、ご容赦を・・・!!)

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by wagahai_tt | 2010-01-05 06:44 | 印象深い事柄 | Comments(2)
Commented by pazz at 2010-01-10 00:01 x
我々の住んでいたアパートでも上の階のセニョーラからこんな質問を受けたことがあります。
「あなた方が下の階に住んで、もう2年過ぎました。そして時々同じ臭いがするけれど・・・油のような美味しそうな臭いです・・・何を作っているのですか?」「????何でしょう。今度臭ったら、その日に言ってください」
数日後天麩羅をしていたらピンポーン!!!「今臭う!!」
その日我が家の天麩羅は上の階の家族の夕飯になりました。
日本のアパート住まいは孤独の様ですが、なんと暖かい国でしょう!
Commented by wagahai_tt at 2010-01-10 09:09
pazzさん、おはよう・・・・・・・・・。
同じように天婦羅が交流を深めましたか・・・。
油物の好きな彼らにとっては、天婦羅は格好の食材なのでしょうね。
一般的に、ブラジル人の人間性は大らかで暖かいものがありますね・・・・。
ブラジル人と日本人の差は何なのでしょうね・・・・?

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