ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(30)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

77.ブラジルは27の州を持つ国で、 その中の一つにパラ州がある。

f0096068_5583312.gifアマゾン河の河口に面した北伯パラ州の広さは、1,248,042k㎡で、 ブラジル国土の約17%、アマゾン地域の26%を占めて、日本の約3.3倍の面積です。



f0096068_624426.jpg人口は約600万人程度で、州都ベレン近郊には約140万人が住んでいる。
パラ州の北部には赤道が通っていて、北半球と南半球に跨っている。

パラ州と日本とのつながりは強く、ブラジルで3番目に日系移民の多い州であり、州内の日系人は1万2千人と言われている。
又、パラ州は千葉県と姉妹都市を提携しています。

昔からこの地の経済は、伝統的に採集により成りたっていたが、70年代には、工業、農業、畜産業が推進されて来た。
更に、1995年パラ州の産業基盤は農業、鉱業、観光業に変化してきた。
アマゾン地域の中で、パラ州は今後発展が期待される州です。

f0096068_641139.jpgパラ州の州都ベレン市は、赤道直下に近く、街並はマンゴー並木と下町はコロニア風で古い建物が立ち並ぶ町です。







f0096068_65957.jpg1616年、ヨーロッパ諸国の侵入を防ぐために、数本の大砲をアマゾン河に向けて設置したカステロ要塞を築いたのが、この町の始まりであり、ポルトガル王朝の直轄地の歴史を持つ町だ。







78. アマゾン移民の町トメアス
f0096068_6112659.jpg1928年南米拓殖株式会社(南拓)がパラ州政府から103万ヘクタールの土地を譲り受け、移住南拓事業を開始。アマゾン移民は1929年アカラに南拓第1回移住者として43家族と単身青年8人の合計189人が入植した事から始まる。




f0096068_6131062.jpg1933年臼井牧之助氏がシンガポールからピメンタ・ド・ヘイノ(胡椒)の苗20本を持ち込み、内2本が活着し、1952年のピメンタ景気の元を作った。1935年この時期まで適作物も定まらず開拓者は困窮の極みに達し、植民地からの退出者が相次いだ時期でもある。又悪性マラリアも大流行し、多くの移住者の命を奪ったのもこの時期である。1935年南拓も植民地事業を断念し福原八郎社長が帰国した時期でもある。

1939年第二次世界大戦が勃発、ブラジルは1943年、ドイツ潜水艦によるブラジル輸送船撃沈を契機に、枢軸国に宣戦布告をした。パラ州政府は、日本人移民者を敵国人としてその財産を没収すると同時に、アマゾン全域の日本人をトメアスに収容した。この時から移民の町トメアスの始まりである。

f0096068_6151345.jpg僅か2本の苗木から始まったピメンタ栽培は1952年に大高騰し、植民地は黄金時代を迎え、トメアス産業組合(CAMTA)の組合員だけでもピメンタ植付け本数44万本、年産800トンに達した。ピメンタ景気の始まりであり、1972年にはピメンタ生産が史上最高の5,000トンに達した。



f0096068_6163633.jpg その後ピメンタ生産にも紆余曲折があり、現在に至っている。   





f0096068_6183488.jpgそんなトメアスを訪問した時、規模の小さなもう一つの日本を感じた。
今まで知らなかった、こんな史実に触れたことにも感動した。






(*注:臼井牧之助氏は、女優小山明子(=大島渚監督夫人)の実父)

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by wagahai_tt | 2009-08-08 06:22 | 印象深い事柄 | Comments(0)
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