ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(14)


ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。

40.  f0096068_65120.jpg ベレン日本人学校の運動会、 我々父兄も中に入って一緒に競技をしないと運動会にならないほど児童生徒が少ない。
当時は、 小学と中学を合わせて23名の複式学級だった。



こんな海外の小さな学校でも、 子供達は学びながら成長もする。
生徒数も少なく、 上級生が下級生 の面倒をみる縦割りの学校だ。
子供達はこの学校で社会の仕組みも学ぶ事になるのだろう。
ここでの学びが、先輩や後輩を意識し、大人を敬うことも学んだようだ。

“父兄が全面的に協力しなければ運営出来ない運動会。”

“上級生が下級生の面倒を見なければ運営できない学校生活。”

“校長以下6名の先生で、日常の運営している学校。”

この学校の運営委員を3年間務めたが、学校運営は、このような小さな学校でも大変だった。
ここで進出企業の出番となり、学校運営費の大部分を企業の負担で賄うことになる。
文部省(現、文科省)認可の日本人学校で、一部国の補助はあるものの、 現地では私立学校と同じ扱いで、 児童・生徒の父兄や進出企業が、授業料や運営費を負担することになる。

当時、笹川財団(現、日本財団)にスクールバスの寄贈を申請して許可され、子供達はドアー・ツー・ドアーで通学できるようになった。
スクールバスが各家庭を巡回しながら子供たちを学校に運ばないと、子供たちにはまだまだ危険な地域社会だった。

今は休校になっている日本人学校だが、 子供達にとっては今でも母校だ。


41.  f0096068_6185619.jpgベレン日本人学校の運営委員会事務局長をやっていたとき、 児童・生徒が学校生活の中で、事故や怪我をした場合の傷害保険に加入した。



保険会社は当時我社が取引していたコンコルジア保険会社(三井住友海上火災保険の現地法人)で、その会社の提案内容で実行することにした。

ある日保険会社から電話があり、「日本人学校で児童が怪我をして治療費の保険請求があった」と報告があった。
調べてみると、 傷害保険請求第一号が、なんと“我が息子”だった。
体育の時間に跳び箱を跳んでいて、足を引っ掛け頭を切ったとのこと。大した怪我ではないが、学校側が治療費の保険請求をしたようだ。
こんな思い出のある日本人学校跡も、 今は現地の幼稚園として活躍している。


42.  1972年、 現地に進出した当社の駐在員の子弟が通学できる学校が無く、当時の先輩達が文部省や外務省など役所を駆け巡り日本人学校設立認可を取り付け、 1974年7月の開校に漕ぎ着けた。

学校の敷地・建物とも当社が購入し、教室に改良して日本政府(外務省)に貸与していた。

その後、日本からの進出企業も増加して、入学する児童生徒も増えたが、
f0096068_6301815.jpg 小学校と中学校を併設した日本人学校の、複式学級の解消には至らなかった。



一時は日系人の子弟の入学も検討したが、子弟が中学を卒業した場合、日本の高校に入学するか、アメリカンスクールに入学するかの二者択一しかないので、この検討も頓挫した。
日本人学校はブラジル国が認可した学校では無いので、当然のことだが、中学を卒業してもブラジルの高校への入学資格がない、入学するには、改めてブラジルの小学校から行く必要がある。

こんな試行錯誤をしていたが、日本からの進出企業の撤退などで、新規に入学する児童数も激減し、遂に1996年3月に休校を決意した。

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by wagahai_tt | 2009-06-05 06:38 | 印象深い事柄 | Comments(4)
Commented by yukun2008 at 2009-06-05 07:13
おはようございます♪
僕は家族を日本へ残して赴任したので、台湾もブラジルも日本人学校
には縁がありませんでしたが、当然のことながら、ご苦労が多かった様
ですね。 生徒数が少ないと運営そのものが成り立たなくなるでしょうか
らね~、サンパウロなら日本人学校の生徒も多かったのでしょうが...。
お子さん達は、今でもこの頃のことを覚えておられますか?
Commented by wagahai_tt at 2009-06-05 08:42
yukunさん、おはよう・・・・・・・・。
生徒数が少ないと運営も簡単なようですが、日本人学校で起こりうる問題は、規模に関係なく起きるので苦労はありましたね。
当時のサンパウロ日本人学校の生徒は400~500名程いましたので規模は大きかったですよ。
今は子供たちも家庭を持っているので中々会えないでしょうが、帰国後数年間は、狭い我家に集まったり、先生達が主導して同窓会をやったりしていましたよ。
こんな時は当時の思い出に花が咲いていたようです。

Commented by pazz at 2009-06-08 23:31 x
我が家も2人の息子達が日本人学校にお世話になりました。
今は休校状態ですが、やはりベレーン日本人学校は大切な母校です。
そして、ベレーンは第二の故郷。訪伯した際には必ずベレーンを訪れ、母校である現幼稚園を訪問しています。
異国の地での本国と同じ教育を・・・を願う親たちの希望を叶えるべく、また、治安の問題を抱えながらの安全確保etc.運営委員の皆様には心を砕かれていたことと思います。
あの素晴らしい校歌を声高らかに歌い、時を共にした子どもたちは今も兄弟です。みんな暖かな広い心を持った素晴らしい大人に成長しています。
Commented by wagahai_tt at 2009-06-09 05:57
pazzさん、おはよう・・・・・・・・。
ベレン日本人学校は子供たちにも父兄にも思い出に残る学校ですね。
先生方のお陰で日本と同じカルキュラムで教育を受けられたのは、子供たちにとっても良かったと思います。
少ない先生方も担当教科を分け合いながら、ご苦労が多くあったことと思います。
小さな日本人学校でしたが、先生方のご指導と広大なブラジルでの学校生活が子供達の暖かく広い心を培ったのでしょう。
今では感謝・感謝です。

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