ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(13)ブラジル赴任当時の印象に残った話をまとめてみた。 38. ブラジルで日系人社会の出稼ぎ が始まった時に、現地の旅行社から我々駐在員にまで、 出稼ぎ斡旋 の手紙が届いた。 旅行社が現地の日伯協会から駐在員の情報を入手して送った斡旋通知を受取った時、「我々は日本人で、しかも日本からの駐在員 だぞ」と思ったのもこの時期だ。 しかも、何故、日伯協会が、会員である我々駐在員の情報を旅行社に開示したのだ、と個人情報に対する意識の低さに 疑問を持ったのもこの時期だ。 日本の企業側も、 「何でもいいから人手が欲しい」 と言う時期だった。 その後、我々駐在員に対しても斡旋依頼通知 が届いた。 「ゴルフ場のキャディーをやってくれるご婦人を紹介すれば、一人に付き5万円の謝礼を払います」 そんなご婦人を我々駐在員が知るわけはないだろう!! 例え知っている人がいたとしても、日本での待遇も分らないのに、紹介など出来ないよ!!! だが、この時期アマゾンからも大勢の日系人が出稼ぎで日本に行った。 その後、出稼ぎが本格化して、旅行社が個人に対して旅費・支度金・当面の生活費の融資 を行い、日本での受け取り給与で返済をするシステムを実行した。 このシステムで出稼ぎが加速されたことは言うまでもない。 出稼ぎから帰国した人が住宅を新築 したのもこの時期だ。 今の日本では、彼らもリストラされて、帰るに帰れない惨めな境遇の人もいる。 日本の都合で左右されるのも気の毒なことだ。 39. ブラジルで、経営トップの4人にボディーガード を付けた時期がある。 命の危険を感じる事件が勃発して、連邦警察署長クリスチャンもボディーガードをつけることを勧めてくれた。 ただ、ベレンのような田舎では、車に同乗してガードできる会社は、一社のみに連邦警察が許可を出していて、他社は別の車で追尾する警備だ。 車で追尾する警備では、いざと言う時に全く力を発揮できないであろう。 そこで同乗して警備できる会社 を選んだ。 4人に各々のガードマンをつけてスタート・・・・。 各人の運転手には、ガードマン会社のレクチャーと実地訓練 が実施され、各運転手達が過酷な運転訓練を受けて来た。 朝の出勤時にアパートの玄関を開けると、そこには既にボディーガードが立っていた。 エレベーターで地下の駐車場に下りると,エレベーターの出口には、 既に運転手が車を回して待機していた。 車に乗り込むが、私の座る位置が助手席のガードマンの後ろの席 に決まっていた。 そこまで決めるのか!!! ガードマンは拳銃携帯で、 ズボンのベルトに挟むか、大腿部とシートの間に挟み込むか、いずれにしても左脇の拳銃ホルダーから外して、いつでも撃てるようにしていた。 ガードマンも平日勤務は、暑いのに黒のダブルのスーツ だったが、休日勤務はラフな服装で、拳銃はズボンのベルトに挟んでいた。 毎朝、車がスタートすると、改めてガードマンが今日の通勤ルートを運転手に指示していた。 夜の来客との会食時も、レストランの内外を警戒しながら、いつの間にか隅のテーブルに座っていた。 だが、そこはブラジル人だ、 こんな緊張感も一ヶ月で終わりだった。 その後は、ガードマンも惰性で助手席に座っているだけの状態になったので、2000年12月までの6ヶ月間でボディーガード契約を解約した。 ガードマン会社と契約解約したことでボディーガード全員が解雇された。 解雇理由が、契約による任務期間中の彼等の給与が高く、解雇後にガードマン会社としてその給与の保証が出来ない ことが理由だった。 各ガードマンは我々の行動パターンを全て知っているので、危険この上ないことだが・・・。 そこで私のガードマンは、彼の希望でもあり保安要員として採用することにした。 その後、私の帰国を期に彼は解雇されたようだ。 ボディーガードの効果は、 私が夜遊びをしなくなったことぐらいかな・・。 こんな肩の凝る貴重な体験もした。
by wagahai_tt
| 2009-06-01 06:54
| 印象深い事柄
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Comments(2)
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yukun2008 at 2009-06-01 20:17
こんばんは♪
ブラジルでお世話になった人達の中に、以前出稼ぎの手配師で稼い だ人も居ましたね~!、日系人も農業移民で渡って来た人達は聞い てた話とずいぶん違って、食うや食わずで大変な時代があったようですね。 無法者達が跋扈するブラジル社会で成功する人は珍しかったで しょうね。 ただ、皆さん荒波を乗り越えてきた人達なのでこの不景気 にも慌てていませんね、逞しいです(笑) お店を10年やっていて12回の強盗に入られた人もいましたね~!
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wagahai_tt at 2009-06-01 21:19
yukunさん、こんばんは・・・・・・・・。
第2次世界大戦時は、アマゾンへの移民者も敵国民として財産を没収されてトメアス地域に収容された厳しい歴史を持っています。 コーヒー農園の移民から出発した日本人の移民も、アマゾンではマラリアや黒水病など自然との過酷な戦いの連続だったようです。 この荒波を乗り越えた人達が、成功者と言えるのかも知れませんね。 日本では考えられない過酷な境遇だったのでしょうね。 その分逞しく生きていますよ。
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