IE9ピン留め
ブラジルの切手紹介-10

ブラジル発見

1984年に発行されたブラジル発見の切手です。
1500年4月22日は、ポルトガル人ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Alvares Cabral)がバイア地方の南の海岸に到着しポルトガル領を宣言した日です。

ブラジルを発見したカブラルは大陸を島と誤って認識し、「ベラ・クルス島」と命名しました。間もなくマヌエル1世によって「サンタ・クルスの地」と改められ16世紀中頃まで使われていました。

しかし、発見当時から大量に自生していた赤色染料の原料になる“ブラジルの木” パウ・ブラジル   (Pau-brasil)のイメージがヨーロッパの人々にとって強い印象を与えていたようで「ブラジルの木の地」などと呼ばれるようになり、他の呼び方をおさえて今日の国名 「ブラジル」  になっています。

当時のヨーロッパでは、赤色は高貴な色として珍重されたが、人工的赤色がまだ無い時代で、赤色の染料は自然界から採取していたため、パオ・ブラジルの芯材から赤い色素(ブラジリン)を抽出し、これを赤色の染料として用いていました。

ブラジルという国名の由来にもなったパウ・ブラジルは、木質は堅く、木目は締まっていて、色は赤で非常に奇麗な艶のある色をしているので、楽器・建築資材・赤色染料として、多量に伐採されてヨ-ロッパに持ち込まれたために、現在では歴史を物語るこの樹木の原生林を見ることが出来なくなっています。




# by wagahai_tt | 2012-02-01 06:39 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-9

世界食糧計画(WFP)
1983年に発行された世界食糧計画(WFP)の切手です。















WFPは1961年に国連総会と国連食糧農業機関(FAO)総会の並行決議によって設立され、ローマに本部を置く食糧援助機関。食糧欠乏国のほか、天災などの被災国への緊急食糧援助も行い、農林業地の開拓や道路建設といった経済社会開発事業にもかかわっています。75年に国連総会が設置した国際緊急食糧備蓄(IEFR)の運営も行い、年間約50万tの穀物の分配を主管しています。主要運営機関は30カ国で構成する食糧援助政策・計画委員会(CFA)。財源は国連加盟国の自発的拠出金・拠出物資・提供役務によって賄われています。2005年の援助実績は、世界の9700万人に対して食糧420万t、金額にして約29億ドルです。

WFP 国連世界食糧計画日本事務所は1996 年10 月、横浜市に開設されました。日本政府との連絡業務、企業や各種団体・NGO との協力関係の推進、および広報活動を行っています。日本はWFP の主要拠出国の一つです。2010 年は2 億 1400 万ドルを拠出、世界第4 位の支援国として世界中のWFPの活動を支援しました。日本人職員も年々増え、2011 年4 月末現在で71 人がアジア・アフリカなど世界各地の事務所に勤務しています。

近年の日本政府からのWFPへの拠出金額は以下の通りです。
2002年 : 約9,290万米ドル
2003年 : 約1億3,000米ドル
2004年 : 約1億3,573万米ドル
2005年 : 約1億6,053万米ドル
2006年 : 約7,119万米ドル
2007年 : 約1億1,874万米ドル
2008年 : 約1億4,306万米ドル


# by wagahai_tt | 2012-01-22 05:11 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-8

FIFA80周年記念
1984年にFIFA80周年を記念して、ブラジルで発行された切手です。

国際サッカー連盟( Fédération Internationale de Football Association)は、サッカーの国際統括団体です。略称はFIFAで本部はスイスのチューリッヒにおかれている。
競技団体としては世界最大であり、FIFAワールドカップの主催がもっとも大きな任務となっています。


1904年5月21日にオランダ、スイス、スウェーデン、スペイン、ドイツ、デンマーク、フランス、ベルギーの8カ国で創立した。

2011年にはなでしこジャパン がワールドカップで優勝して世界一の快挙を挙げた。

2012年現地時間1月9日(日本時間10日)にFIFAは、スイスのチューリッヒで年間表彰式を行い、なでしこジャパンの澤穂希が女子FIFAバロンドールを受賞した。アジア人選手が同賞を受賞することは、男女を通じて史上初の快挙です。








更に、FIFA女子最優秀監督賞になでしこジャパンの佐々木則夫監督が選出された。日本人監督が選出されたのも史上初の快挙です。



# by wagahai_tt | 2012-01-15 05:38 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-7

ブラジル予防接種
はしか予防接種
はしか予防接種の切手です。










子供の予防接種
子供予防接種の切手です。










ブラジルでの子供の予防接種とその時期
種類 接種時期(生後)
B型肝炎     2ヶ月、4ヶ月、6ヶ月
BCG        1ヶ月
ポリオ・DPT    2ヶ月、4ヶ月、6ヶ月・・・
髄膜炎      2ヶ月、3ヶ月、9~10ヶ月・・・
はしか      10ヶ月
MMR       12ヶ月

BCG、ポリオ、はしか、DPTの予防注射は、市の施設で受ければ無料です。
市の施設は、今では針もちゃんと使い捨てのものを使ってくれるので安心です。

1997年2月 に我社の全従業員約1,000人を対象に黄熱病予防接種 を行った時は、会社まで出向いて来た市の保健所職員が一本の針を20人程度に使い回しをしていたのには驚いた。当時はアマゾンにはまだ使い捨て注射針が無かったのか、また保健所職員ですら衛生観念が無かったのかは分からないが、こんな時代もありました。


# by wagahai_tt | 2012-01-10 05:38 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-6

イタイプー水力発電所

イタイプー水力発電所の切手です。
1983年にイタイプー水力発電所の完成を記念して発行されたCr$140.00の切手です。
イタイプー水力発電所は、ブラジルとパラグアイの国境を流れるパラナ川に、高さ185mで幅14kmのダムを作り、1975年着工し、1984年に運転開始した世界一の規模を誇る水力発電所で、ブラジルと隣国パラグアイとの共同プロジェクトです。

現在18基の発電機を備えて、12,600メガワットをフル発電しているようです。
発電機一基あたりの発電量は、70万リットル/秒の水を使い、700メガワットの発電で、約150万人の町の電力を賄うことができます。





パラグアイ国側にある放水路からの放水は凄まじいものですが、最近ではダム湖の水位が下がり殆ど放水を見ることが出来なくなっています。
この発電所は、ブラジルの25%の電力とパラグアイの95%以上の電力を供給しています。


# by wagahai_tt | 2012-01-05 05:18 | 切手 | Trackback | Comments(1)
新年
                      

              昨年はありがとうございました。
                        
              本年もよろしくお願い致します。
                                   
                                                 2012年 元旦


写真左はスペイン人夫妻      中央日本人       右端はアメリカ人



# by wagahai_tt | 2012-01-01 06:27 | Trackback | Comments(0)
エコ・クリスマス 2011年12月18日




Asfloraの活動報告を紹介します。

エコ・クリスマス 2011年12月18日

ASFLORA(アマゾン森林友の協会)は、先週に引き続きクリスマス行事を行いました。
12月18日(日)、ベレン市から55㎞の距離にあるサンタ・バルバラ郡エスペジット・リベイロ入植地で、「水源の森つくり」植樹祭を行い、クリスマスを祝いました。
今回の催し、同地の環境農業入植者協会とAsfloraが準備し、真珠のミキモト様(EFF/緑の募金助成プロジェクト)、イオン環境財団様、宮本(藍工業)様、Schincariol社様の助成を得ています。
午前9時半、入植地の公民館のある広場で、エスペジット・リベイロと近くのアブレウ・ベルメーリョ入植地の子供たち200人が集まり、木登りゲームを始めました。つるつる丸太柱の天辺に吊るされた、お菓子の入った袋を取る遊びです。一人、一人が挑戦しても、みんな滑って登れませんでした。それで、助け合いながら人の梯子をつないで登ってゆくと、お菓子が仕留められました。


30分ほど遊んで疲れたところで、1回目のランチタイム、ハムとチーズ入りのサンドイッチです。










ランチタイム後、クリスマス行事開催者、協力者の挨拶と植樹指導が行われました。 地元サンタ・バルバラ市セルソ副市長、州農業指導部(EMATER)サンタ・バルバラ支所イアーレ所長、州環境局環境教育部ダニエーラさん、入植者協会ミランダ会長などが挨拶しました。 また、日本から、この入植地への支援活動をしてくれている NPO地球と未来の環境基金-EFF 古瀬繁範 理事長が特別参加してくれています。 式典を終えて300m離れた植樹地に移動、「水源の森つくり」植樹の開始です。


まだ雨が少なく乾燥しているので、今回の植樹祭では千本の苗木のみ植えました。地拵えは、水源地を囲んで0.4ヘクタール出来上がっています。 合計で9千本(イオン環境財団助成分5千本、緑の募金・ミキモト・EFF助成分4千本)の苗木を植えることにしています。










植樹中、隣の「群馬の森」を訪れていた沼田総領事が、北伯群馬県人会長の岡島さん、平形さん、京大研究員石丸さん、大学院生田村さんと共に到着しました。
右上写真の紺のシャツ姿が、子供とアサイ苗を植えている沼田総領事です。










植樹後、Asfloraのエーデル理事の掛け声で、全員が輪になって「クリスマス、おめでとうとう!」と、三唱しました。









左上)EFFの古瀬氏の後方が、地拵えの済んだ水源の森つくり予定地です。
右上)昨年のクリスマス植樹祭で植えた一画です。 


植樹後、公民館(上の木造バラック)で、飲み物と軽食が配られました。 サンタが現れ、プレゼントを子供たちに手渡しました。サンタさん、暑い最中にこの装束ですし、大勢の子達を相手に、最後はフラフラになってしまいました。

本年も、多くの方々のご協力によりAsfloraの活動が継続できました。心からお礼申し上げます。
日本の大震災後、大勢の市民によるボランティアの方々の活躍が報じられています。
私どもも、地球市民の一員として、環境教育、森つくり、持続可能な家族農業者支援活動に、新しい年もみんなで力を合わせていきたいと思います。

良いお年をお迎えください。
2011年12月23日
ASFLORA代表  佐藤卓司
副会長 山中正二
他役員一同


# by wagahai_tt | 2011-12-27 11:34 | Asflora | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-5

南極観測
ブラジルの南極観測に関する切手です。
ブラジルは1975年に南極条約に加盟して、1983年にはコマンダンテ・フェラス基地を建設して本格参入した。
1986年に発行されたCZ$0.50の切手です。





*南極条約:南極における調査研究に協力体制を築いていた日本、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦(現ロシア)、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカの12か国が1959年12月1日に南極条約を採択した。
条約内容
1.南極地域の平和的利用(軍事的利用の禁止)
2.科学的調査の自由と国際協力
3.南極地域における領土主権、請求権の凍結
4.核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止
5.条約の遵守を確保するための監視員の設置
6.南極地域に関する共通の利害関係のある事項についての協議の実施
7.条約の原則および目的を促進するための措置を立案する会合の開催
条約締結国は、2011年12月15日時点で49か国です。

1987年には南極観測活動のCz$1.00の切手が発行されました。




# by wagahai_tt | 2011-12-25 05:50 | 切手 | Trackback | Comments(0)
エコ・クリスマス 2011年12月10日




Asfloraの活動報告を紹介します。

エコ・クリスマス 2011年12月10日

Asflora(アマゾン森林友の協会)では恒例になった、クリスマス行事を始めました。
12月10日(土)、Asfloraメンバー9名とアライアル・ド・パブラージェン(以下、アライアルと略)のグループ20名は、州環境局が提供してくれた小型バスに乗り、ベレンからバスで2時間半かけて、イガラッペ・アスー郡(市)サント・アントニオ・ド・プラッタ村に出向きました。
地元のジナイール母の会とパラ総合大学のマリレーレ先生が企画した、エコ・クリスマス行事への参加です。
午前10時に、村の広場にある公民館に到着しました。子供とその家族300人位が我々の到着を、首を長くして待っていました。早速、アライアルのグループが、太鼓、マンドリンなどの楽器を鳴らし始めました。時を置かず、子供たちはダンサ・ド・ボイ(牛踊り)を始めました。前にもこのアライアルのグループと踊っていた様子です。 









踊りながら、村の中を歩き、Asfloraが寄付した苗木150本の植樹現場に向かいます。
植樹は、村を横切る河の近くの道路沿いに行いました。









この村は、昔ハンセン氏病院があり、長い間外部と隔離された部落でした。 今も古いしっかりした建物が残っています。 

私と同年64歳のマリア・ペレイラさんは、孫たちと一緒でした。彼女はもう8人も孫が居るそうです。聞いてみると、一家はアマゾン中流域のオリシミナに住んでいたそうです。しかし父親(6年前に亡くなる)がハンセン氏病であることが分かり、50年前にベレンの病院に来て、ここプラッタ村の隔離病院に送られ、一家もここへ移り住むことになったそうです。

左写真)中央で孫と一緒に居るのがマリア・ペレイラさん。父親以外には、家族の誰もハンセン氏病にはかからなかったそうです。二人の子供がこの村に住み、孫は8人居ます。同い年の筆者(右)は、孫なし、羨ましいです。




植樹後、集会所に戻り、Asflora森の劇を披露しました。今回は、森の劇の中で、水源を汚さず、水源林を大切にすることを特に呼びかけました。

















森の劇後、スライドを用いた川を綺麗にするための環境教育がありました。参加者は、8日後(12月18日)に、クリスマスプレゼントを受け取れるチケットを貰いました。






私たちも、プラッタ村の子供たちから、笑顔のプレゼントをたくさん貰ってきました。










Feliz Natal!!      
Asflora=Instituto Amigos da Floresta Amazônica (文)佐藤卓司


# by wagahai_tt | 2011-12-23 07:25 | Asflora | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-4

奴隷解放
ブラジルは1888年に奴隷制度を廃止しました。
1984年に発行された奴隷解放の切手です。











ブラジルは1530年の植民開始から、砂糖植民地としてポルトガル帝国の重要な一翼を担うようになった。ブラジル中東部、バイア州やペルナンブコ州で発展した砂糖生産は18世紀に衰退してきたが、反面ミナス・ジェライス州での金鉱山が発展した。砂糖は19世紀初めに、南部のリオデジャナイロとサンパウロで生産が拡大した。しかし、1830年以降、ブラジル南部でコーヒー生産が主体になり、この地域が18世紀末にはブラジルの全奴隷輸入の40%、1820年代には60%、1840年代には80%にも達した。

ブラジルでは、1830年に奴隷貿易が公式には認められなくなったが、1850年まで、コーヒー生産のために公然と奴隷貿易が行われていた。

1850年、イギリスはブラジルに奴隷輸入の禁止を求めて、艦隊を派遣し、戦争が始まり、ブラジルは敗北した結果、サントスやリオデジャネイロには北部の砂糖産地や南部の牛肉・皮革産地からの奴隷が移入して来るようになった。1865年に合衆国で奴隷制が廃止されたときには、主な奴隷保有国としては、ブラジルとキューバが残るだけとなった。

1871年に、ブラジルで奴隷解放のための法律が制定され、新しく生まれた子供は奴隷とされなくなった。その後1888年にブラジルの奴隷解放が実現したのです。
1500年にブラジルが発見されてから388年間奴隷制度が続いた事になります。


# by wagahai_tt | 2011-12-15 04:53 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-3

ブラジルの切手紹介-3

世界遺産
1985年に発行されたユネスコ世界遺産に登録された場所の切手を紹介します。

Ouro Preto  

ミナス・ジェライス州にある世界遺産Ouro Preto(オーロ・プレット)の切手です。




オーロプレット(ポルトガル語で黒い金)は、1711年に金が発見されてから 18世紀の約100年の間に世界の金の半分以上を産出した町です。オーロプレットのあるミナス・ジェライス州では 1200トンの金と300万カラットのダイヤモンドを産出したようです。 世界の金の80%以上がオーロプレットから産出された金になった時もあるそうです。

O linda  

ペルナンブコ州にある世界遺産O linda(オ・リンダ)の切手です。





最初に、オリンダに到達したとされるヨーロッパ人は、フランスの商人だとされるが、後に、フランスのライバルであるポルトガルが1537年に、都市の建設を開始した。
砂糖産業を中心にオリンダは繁栄したが、レシフェ(州都)を建設したオランダによって、一旦は破壊された。
1654年ごろ、ポルトガルの手により、再度、オランダからオリンダが奪取されると、オリンダの町は、ポルトガル風の建築物が建設されるようになり、蘇ったようです。
   
Sao Miguel das Missoes
リオ・グランデ・ド・スル州の内陸にある世界遺産Sao Miguel das Missoesの切手です。




サン・ミゲル・ダス・ミソンイス (São Miguel das Missões) は、ブラジルのリオ・グランデ・ド・スル州北西部の小さな町サン・ミゲル・ダス・ミソンイス市にあるイエズス会伝道所跡です。1983年に「サン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されました。
イエズス会は、土着民のグアラニー族がキリスト教化することや、彼らをスペインやポルトガルの奴隷商人たちから保護する目的で、1735年から1745年にこの場所に伝道所を建設したものです。


# by wagahai_tt | 2011-12-05 03:18 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-2
ブラジルの切手紹介-2

カラジャス鉄道

カラジャス鉄道の切手です。
カラジャス鉄道は、パラ州にある巨大な露天掘りのカラジャス鉱山から掘り出した鉄鉱石を、892km離れたマラニョン州サン・ルイスの積出港まで運ぶために1985年に敷設された鉄道で、長距離輸送を効率的に行うために考案されたのが、車両を極限にまで連結する手法で、機関車2両で180両の貨車を連結した長大なものです。

積荷を降ろした空の貨車を鉱山に戻す列車は、機関車2両+貨車180両を2つ繋いで戻すので、機関車4両+貨車360両で1両の長さが10mとしたら単純計算でも約3.6km以上の車列になります。

全区間がコンピューターで制御されており、24時間運行しています。貨物を積載した列車は最高速度75km/h、客車や空載の列車は最高速度80km/hで走っています。
このカラジャス大計画を記念して1985年に発行されたCr$500の切手です。



# by wagahai_tt | 2011-11-25 03:48 | 切手 | Trackback | Comments(0)
ブラジルの切手紹介-1
現在手元にあるブラジルの切手の一部をそれぞれ紹介します。

ブラジルの切手紹介-1

Dom.Pedro国王  

ペドロ国王の切手です。
1798年10月12日、 Dom.Pedro(ペドロ) はポルトガル王Dom,Joao(ジョアン)の第4子(次男)としてリスボンに生まれ、長男が早く亡くなったので、実質的な王位継承者であった。


1808年、 ナポレオン軍のリスボン侵攻 を前に、祖母である女王マリア1世や両親とともにブラジルのリオ・デ・ジャネイロに逃れた。

Dom,Pedroは1822年にリオ・デ・ジャネイロを都としたブラジル王国 を建国し、1831年にポルトガルから独立した後、Dom,Pedro国王は1834年に死去した。

国王の没後150年目に当たる1984年に発行されたCr$1,000.00の切手です。



   
# by wagahai_tt | 2011-11-15 04:07 | 切手 | Trackback | Comments(0)
サンタレン散策

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(125)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

192.             サンタレン散策

アマゾンの熱帯雨林や我々が手掛けている植林地と植林木の撮影を依頼して日本から招待した友人のプロカメラマンを案内して、パラ州サンタレンを散策した。




















この時は子会社アナニ船舶(有)が所有する船を、1週間前にマラジョー島にあるブレベス支店を出航させ、我々は当日の朝1時間のフライトでサンタレンに入り、サンタレンの漁港から待機していた自社船に乗ってアマゾン河本流周辺を散策した。










本流を流れる茶色の水と支流から流れ込んだ水が温度と比重の差で混ざり合う事も無く20km程並行して流れている自然現象を観察した後、雨季には水没する島に上陸して砂浜を散策した。




















この時、無免許だが初めて船を操舵してみたが、慣れていない為か下手くそなのか、船が目的地に向って真直ぐに進まない。
舵の切り返しの程度が分かっていないので、舵を回し過ぎになるのが原因だ。










食事は船員達が作ってくれたブラジル料理を、簡単な食卓テーブルに座って、航行しながら食べたが、美味かった。
ヘッジ(ハンモック)に横になりながらビールやカイピリーニャを片手にノンビリした船遊びは、日頃の煩雑さを忘れさせてくれます。

乾季の間だけ出現する島を散策後、船を砂浜に係留してヘッジで一泊することにした。











アマゾン河の水平線に沈み行く夕日の撮影や翌朝の日の出の撮影をしながら二日間ゆっくり、しかも楽しく過ごした。



# by wagahai_tt | 2011-11-05 06:31 | 印象深い事柄 | Trackback | Comments(0)
一般的な出産方法

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(124)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

191.            一般的な出産方法

ブラジルでの一般的な出産は帝王切開 によるものが多く、自然分娩は少ないようです。
帝王切開による出産は、入院期間も短く出産スケジュールも事前に決められるので、妊婦にとっても出産予定が確定し、入院費用も節約できる利点があるようだ。
尚、帝王切開による出産でも、出産後2日程度で退院し自宅療養となるようです。

妊婦以上に産婦人科医にとっては、各患者の出産がスケジュール化できるので、利点が大きいようだ。その上手術費用も請求できるので収入も多くなる。

帝王切開は女性の陰毛の生え際を横に切開するようです。
ビキニの水着着用例











Tバックの水着着用例











この手術方法は出産後でも女性がビキニの水着やフィオデンタル(Fio-dental=糸楊枝)=Tバックの水着を着てプールや海に行くのが主な理由だそうです。



# by wagahai_tt | 2011-10-23 03:16 | 印象深い事柄 | Trackback | Comments(0)
パリカ植林と農作物

ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(123)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

190.            パリカ植林と農作物

広葉樹の植林は苗木の活着も悪く困難だと言われていましたが、今回広葉樹パリカ (Schizolobium amazonicum:マメ科)を中心に植林を行なった。










植林はポットで苗木を育てて、それを植林地に植樹する。










植樹した樹根に樹皮や大鋸屑に豚の糞尿を混ぜて発酵させたバーク堆肥を施肥する事で、板根が出るのを抑制しながら成長促進を図っていた。










それ以外にも、植林木の樹間に農作物(米・トーモロコシ・大豆・マンジョカ等々)を植えて、農作物に化学肥料(NPK=18:18:18)は40kg/ha位を2回施すようにした。
農作物を狙って野鳥がたくさん飛来し、米は3割程度食べられたようだが、植林木に対する害虫の被害が全く見られなかったことを考えると、この野鳥達が害虫も食べてくれていたのであろう、想定外の事でした。










アホース(米)は雨季の真最中の1~4月に植え付けて4ヶ月間で収穫できる。しかし、植林木が2年経過で成育が良くなると、樹間には日陰が増えて米の実が付かなくなるので植林後の一年間だけの収穫になる。米の後ではフェジョン(大豆)を播きつける。フェジョンは種類が多く、ブラジル南部でよく植えられている市場性のあるものを、雨期が続いている4、5月に播くと、ツタが発達して植林木にからみつき易くなる。フェジョンも4ヶ月ほどで収穫できる。

苗木植栽後2年間、この混農方式をとると、木の生育が良くなり、雑草のキクユは日陰が出来るために勢いが衰えてゆき、除草剤を使うよりも安上がりの上に効果が確実であった。

2年後、穀類を植えたところと植えなかったところは雑草の成長にも、木の成長にも差が出ていた。










穀類の収穫量は米で100~150kg/ha、マメは150~200kg/ha(初年度)であるが、その値段は安く、人件費を賄う程度なので、1,200人の全従業員に年1回収穫物の無料配布を行なうことにした。
   
米、マメ、トーモロコシの他にマンジョカ(タロイモ)を試していた。マンジョカの場合は、8~12ヶ月間植えたままでいるので手間はかからない。マンジョカの成長のために木の根と競合するかと思われたが、今までのところ全く問題なく、植樹間を裸地にしておくよりも良い結果が見られた。










その後は植林木の根本にピメンタ(胡椒)を植付けて収穫を楽しみにしていた。

当初は農作物に地中の栄養分を取られて植林木の成長に悪影響があるのではないかと心配したが、結果としては木の成長にプラスの効果があった。




# by wagahai_tt | 2011-10-05 03:54 | 印象深い事柄 | Trackback | Comments(0)
パラーブラ・ダ・ビーダ校生徒の来訪




http://www.asflora.org

8月度のAsflora活動報告を紹介します。

  パラーブラ・ダ・ビーダ校生徒の来訪           2011年8月12日 

Asflora-アマゾン森林友の協会-では、8月12日(金)午前中に、地元ベネビーデス市私立学校パラーブラ・ダ・ビーダ校の生徒、職員50名を招いて、恒例の環境教育プログラムを、Asflraが本拠地としているAimex種苗センターで行いました。 この日は、公害撲滅の記念日でした。参加した学校は、EFF(NPO地球と未来の環境基金)、緑の募金、三菱商事のご支援を受けた「学校の森つくり」プロジェクトのパートナーです。 この環境プログラムは、日本からのご支援に加え、AIMEX(パラ州輸出木材工業協会)、 SCHINCARIOL社からの応援を頂きました。

Asflora理事のマルルッシは、とてもしっかり者。今回も講師となって、環境教育講座を取り仕切りました。教員も生徒と共に、Asflora環境十戒をしっかりと頭に入れ、生徒が、復習する手助けをしてくれました。 講義の次は、Aimex種苗センターで扱う林木種子が、販売される以前に、どう保存し、発芽力を調べる検査が行われているかを見学しました。











種子の検査室(ラボラトリオ)を出てから、良い苗木をつくるためのプロセスを見学します。











でも、子供たちの注意は、森の小道に入ることに引かれてしまいます。 そして、クルピーラ(森の守り)の登場となり、クルピーラの住む森へ案内されます。












森に入ると、マァイ・ダ・ナトレーザ(自然の母)が、子供たちを出迎えます。彼女は、子供たちに、自然を守り、身の周りの環境を良くしていくことを、一人一人に求められていることを優しく話しかけます。

少し歩くと、大きな声でのやり取りが聞こえてきました。老木が樵と遣り合っているところでした。樵は、細い木を切ろうとしていたのです。クルピーラと自然の母が、子供たちと共に樵を制します。木を切るなら、森が持続してゆくように仕事(施業)することが、樵の利益にもなることを教えます。樵も最初はいきりたっていましたが、教えられたこと(Manejo Florsetal=森林の持続可能な施業)に納得します。そして、熟成した木(老木)は、子供たちの傍で、窓枠、机、扉などになって、長く大切に扱われる第2の人生を送れるよう、樵に伐採を託します。











更に森を進むと、アララ(オウム)小母さんが待っていました。 クルミース(インジオの言葉で子供たち)に、彼女(鳥)たちが森つくりをしていること、自然界の動物相の中での役割などを語ってくれます。それで、人にパチンコや鉄砲で撃たれたり、鳥籠に入れられてしまうと、森の中での役割が果たせなくなるので、みんなに理解を求めました。

アララ小母さんから別れると、今度は酔っ払いが小川の傍で寝ているのに出会います。周りはゴミだらけです。みんなでゴミ拾いをし、それからこの酔っ払いを改心させました。










次は、みんなで落ちている木の種を拾って、大きな苗ポットに植えます。それが芽生えて、木の赤ちゃんと対面できました。小さな種から苗に育て、それを植えて大きな木にすることができることを、みんなが感じとりました。










左下は、伝説のマチンタ小母さんに会ったところです。彼女は、自分の持つ薬草の素晴らしさを伝え、森の中は、世俗の悪い習慣の無い、自由があると話していました。  森の小道で最後に会ったのは、インジオの祈祷師でした。右下では、その祈祷師から、この森を歩いて学んだ自然の大切さを、周囲の人々に伝えてゆくようにと言いつかりました。











                   ↑記念写真!
                 森を出て、さぁ喉を潤そう!

ランチタイムです ↓











パラーブラ・ダ・ビーダ校の生徒たちは、Asfloraと「学校の森つくり」(5年前と今年植樹)に取り組み、授業にも自然環境教育が取り入れられています。生徒たちは、自分の言葉で、環境問題についてしっかりした意見が言え、とても感心させられました。


                 Instituto Amigos da Floresta Amazônica-ASFLORA
                                 アマゾン森林友の協会.



# by wagahai_tt | 2011-09-05 05:29 | Asflora | Trackback
ASFLORA便り- 2011年7月30日




7月度Asfloraの活動報告を紹介します。

2011年7月30日 エスペジット・リベイロ
入植地近況


Asfora(アマゾン森林友の協会)は、EFF(NPO地球と未来の環境基金)、緑の募金、ミキモト社のご支援を得て3年前よりサンタ・バルバラ郡の開拓部落、エスペジット・リベイロ入植地でアグロフォーレスト(森林農業)の支援活動を行っています。また環境保全のために、前記団体の他に、イオン環境財団のご支援も得て、宮脇方式による森つくりを行っています。今回は、その入植地の近況をお伝えします。
 7月30日(土)に、同入植地農民協会の役員改選があり、現職のミランダ会長が再選され、更に2年間を務めることになりました。ミランダ会長、このインバゾン(侵入)由来のこの入植地で、土地権利の獲得、入植者の組織化と環境配慮型の農業導入に努めてきました。経済的なゆとりが全く無くても、熱心に全体のために自分の時間を犠牲に働いてきたことで、彼に好意を寄せない一部の人たちも、対立者を擁して再選に反対することはなく、すんなり再選されました。

上の写真は、7月25日(月)に、ミランダ会長(白Tシャツ)がこの2年間の活動総括を行い、次期役員を招集しているところです。Asfloraとの提携が呼び水となって、この入植地が、各種支援を得られるようになっていると感謝されました。


















役員改選が終わると、みんなが協力してお膳立てした食事会、会議より盛り上がります。上左写真、子供の中に混じっているオジサンは、私のクラスメート、福井幹雄です。JICAシニアボランティアとしてパラグアイに赴任中、今回、初めて訪ねてきてくれました。

入植地内を少し紹介します。
上のパノラマ写真は、Asfloraが今年支援した畑(アグロフォーレスト・システム)の一つです。アルフレッド(右下)の畑です。








左上写真は、SEBRAE(起業支援機構)、市役所、EMATER(州農業指導公社)、ブラジル銀行支援による地鶏と蔬菜栽培を組んだ農地です。この開拓地には、他にも1か所導入されました。
右上がこの耕地の主、アルフレッド。手にしているのは野生種のパッション・フルーツです。彼は明るく剽軽者、入植者協会の副会長として、入植者53家族の良きまとめ役です。

この入植地は、森林地帯に6年前に土地を求めるグループが勝手に他人の土地に侵入してできた「インバゾン」の一つです。 Asfloraでは、隣接する貴重な自然林を保全している「アマゾン群馬の森(現在、アマゾン日伯友好の森)」への影響が及ばないことを願うと共に、入植者たちが、森を維持しながら、持続可能な営農ができるようなお手伝いをしたいと思っています。
上の写真、2009年3月に植樹した場所です。それから2年4ヵ月、小さな森ができました。
上の写真、2008年12月に植樹した「水源保全の森」です。2年7ヵ月が経過。左下方の明るみが、部落の憩いの水場、堰き止め池です。
この水源地帯には、他に3か所植樹しました。更に、この水源を守るため、今年末に9千本の植樹を予定しています。 このため、Asfloraのスタッフ、マルルッシアとカミーロと共にこの水源周辺耕地を見て回っています。







 
水が湧き出ている場所には、入植者のローザ・ブリットが洗濯をしていました(前欄左上写真)。 彼女は一人住まいですが、コーヒーまで自給体制を取る働き者です。水源林が薄くなってきたことは、彼女も心配していて、植樹祭には積極的に参加しています。 一緒に水源地の回りを歩き、前欄右上写真の場所にも、森つくりをするように提案してくれました。 







 
入植地の幹線道路(上左右)が市役所によって開かれましたが、ご覧のように、水源地を横切り、むき出しになった土(砂地)は、雨が降れば谷間の小川に押し出されてしまいます。谷間の途中に、土止めはあるものの不十分なので、更に土止めを行い、各種の樹木苗を植えるようにします。









 
水源地帯の森に、女手一人で開拓に挑むダルシレイア(右上写真、左)は、この森の大切さをよく理解しています。まだ殆ど手つかずの10ヘクタールの自分の耕地は、必要最小限の伐採に留めると言います。 裁縫の仕事をしつつ、今後、女性軍による共同蔬菜つくりに参加するそうです。下の写真は、彼女の耕地内の自然林です。










右上の写真中、太い幹が見えるのは、Vochysia属の木です。樹皮を煎じると、気管支炎に効くとされます。最近、薬草利用の講習会も行いましたので、森の中でいろいろ薬草原料を見つけることができます。また、薬草栽培では、わずかな栽培面積でも、やり方によって良い収入を得ることもできます。森を活かした耕地で、女手一人でも生活ができる方法を一緒に考えてゆきたいと思いました。

文中敬称を略させていただきました。


ASFLORA-アマゾン森林友の協会
 代表 佐藤卓司





# by wagahai_tt | 2011-08-05 04:40 | Asflora | Trackback
6月度活動報告




Asfloraの6月度活動報告を紹介します。

エスペジット・リベイロ入植農民のマリツーバ農協とAimex種苗センター訪問研修

6月17日(金)、ASFLORA(アマゾン森林友の協会)では、エスペジット・リベイロ入植地と隣接のブレウ・ベルメーリョ入植地の農民23名を対象に、隣郡マリツーバとベネビーデスでの蔬菜作りを主とした研修を行いました。この研修は、サンタ・バルバラ市 EMATER(州農業指導公社)の協力を得て、同公社の技師アントニオ・ブラガが付き添い、Asfloraからはマルルッシ・アモリンが参加しています。
マリツーバ郡(市)のアルミール・ガブリエル部落にあるCOOPSANTという農業協同組合を訪問しました。ここでは、有機農業、水耕栽培などによる蔬菜作りと薬用植物栽培を見せてもらいました。次いで、近くのベラ・ビスタ部落での魚の養殖と園芸植物栽培も見学し、Asfloraが本拠地としているベネビーデス市Aimex(パラ州輸出木材工業協会)種苗センターに行き、林木や果樹の苗木作りの研修をしてきました。










COOPSAT農協集会所(上写真)で同農協がBASA(アマゾニア銀行)からの農村振興支援プロジェクトを受けた経緯、その実情などの説明を経て、レタスの水耕栽培(下写真)を同農協組合員エジルソン(右下写真、右側のオレンジ色シャツ姿)が案内してくれました。











水耕栽培では、循環させる溶液施設が重要ですが、これまでの経験からその改善策についても教えを受けました。下写真のタンクは深く設置し過ぎたそうで、溶液がこぼれ出さないようにいつも注意が必要ということでした。











上の問題を改善するために、新たなタンクを設置する予定地で説明を受けました。

次いで、蔬菜の播種と育苗について現場での説明を受けました。まず初めは、播種床となる資材の準備で、大きな塊を丁寧に除いてゆくことから学びました。




















左上写真は、選別した用土を育苗容器に入れているところです。上右写真は、新たに設置中の水耕栽培用ビニールハウス(上右写真)を、エジルソンが見せてくれているところです。

組合員のジュデウは、薬草栽培と有機質肥料を生産しており、その説明(下写真)を受けました。











組合員アルマンドの農場では、娘のアドリエレが観葉植物を栽培しているところを案内してくれました。












COOPSANT農協の見学を終えて、近くのベラ・ビスタ部落を訪ね、エミリア農場を訪ねました。ここでは、観葉植物栽培に加えて、魚の養殖を大きくやっていました。

ここには二つの養殖池(タンク)があり、良い利益を上げているようでした。魚だけでなく、アヒルと地鶏の飼育でも儲けが出ています。










今回のエスペジット・リベイロ入植地農民の近隣農業視察研修では、最後にベネビーデス市のAIMEX種苗センターに寄りました。同種苗センター責任者でAsflora理事のエルトン・マイアが一行を待ち受けて、ここでの樹木や果樹の育苗について説明し、苗圃へ案内してくれました。

訪問者たちは、必要な苗を自分たちで生産しようという気持ちが強くあります。必要に応じての種子休眠打破処理、消毒方法、育苗期間などについて、質疑に熱が入っていました。











今回の研修に参加してくれた、エスペジット・リベイロ入植地とブレウ・ベルメーリャ入植地の参加者、この研修へ賛同し協力を惜しまなかった、EMATER(州農業指導公社)、COOPSANT農協、ベラ・ビスタ部落(コミュニティ)、AIMEX種苗センター、そしてAsfloraが行う開拓部落へのアグロフォーレスト支援プロジェクトへ助成を継続して頂いている緑の募金(国土緑化推進機構)、ミキモト社、EFF(NPO地球と未来の環境基金)に感謝を捧げます。
文中敬称を略させていただきました。

                            Asflora(アマゾン森林友の協会)
             INSTITUTO AMIGOS DA FLORESTA AMAZÔNICA-ASFLORA
                        Asflora役員一同  DIRETORIA-ASFLORA



# by wagahai_tt | 2011-07-07 03:53 | Asflora | Trackback
ブラジル紹介:面白い出来事・印象に残る事柄etc.(122)

ブラジルで印象に残った話をまとめてみた。

189.              森林の活性化

2000年3月初めより6月末までの4ヶ月間、過激な環境団体で知られるグリンピースが「Amazon Guardian」と命名した船をアマゾン河に派遣した。
この船は全長58m、乗組員31名で、水上飛行機、補助艇とスピードボート6艘を備えており、世界各地へ情報を発信することができる機能を備えていた。
その船内のキャビンには、彼等が伐採禁止樹種として運動の旗頭に挙げていたマホガニィー材をふんだんに使った快適な居住環境を備えていた。
(マホガニィー材はこのような色合いの材です)













        (一輪挿し)                  (将棋盤)
この船を使ってグリンピースは、先進各国がアマゾン熱帯雨林保護に力を入れるよう、2000年の沖縄サミットで揺さぶりをかけることを目的としてアマゾン森林保護キャンペーンを行っていた。

自然林でも1本の成木を択伐する事により、大木の下で成長のチャンスを虎視眈々と窺がっている100本の幼木の成長促進となり、森林の活性化は促進され、    CO2固定化も促進されることになる。










水辺の住民の中には木材の伐採に携わって生活している人達もいる。
熱帯雨林の伐採禁止を旗印に活動しているグリンピースも、自らの行動を世界にアピールする為だけの活動ではなく、アマゾン自然林保護に関する本質や住民達の生活権確保に関しても見失わないでほしいものだ。



# by wagahai_tt | 2011-06-05 04:36 | 印象深い事柄 | Trackback
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